「日本のことを教えてグー!」
「天皇は王とは違うのですか?」
「天皇」日本にしかない君主号です。
「天皇」という称号が初めて使われたのは第三十三代の推古天皇のときです。
推古天皇の皇太子で、摂政として政治を行っていたのが聖徳太子です。
日本でも推古天皇以前は「王」という称号を使っていました。
しかし「王」は「中国の皇帝の臣下」という意味なので聖徳太子は
何とかこれを変えたいと思い、チャンスを狙っていました。
六〇七年、聖徳太子は隋の煬帝に一通の手紙を送ります。
「日出る処の天子、書を日没するところの天子に致す。恙なきや」
=「あなたも天子だが、私も天子で対等だ。しかもこちらは日が昇る
国なのだから、こっちのほうが偉い」という手紙を送ったのです。
大国、隋の煬帝は当然、激怒しました。しかし当時、隋は
朝鮮半島の高句麗との間に紛争を抱えていました。
隋としては、日本は高句麗につくことはどうしても避けたかったので
煬帝は結局、遣隋使の小野妹子を丁重に帰すしかありませんでした。
半年後、聖徳太子は再び小野妹子を再び隋に派遣します。
今度の手紙には「東の天皇,敬みて西の皇帝に日す」と書かれていました。
聖徳太子は隋が日本と断交できないというのを見越した上で
まず思いっきり相手を怒らせ、次は対等の要素を残しつつ「天皇」
という称号を使うことによって「王」を拒否しました。
聖徳太子の機智によって日本は中国の属国になることを免れ
自主独立の国だと宣言できたのです。
岡真樹子氏 著書より