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チャンネルAJER『日本の少子化をくい止めるにはーその2ー(前半)』三橋貴明 AJER2019.10.22
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三橋TV第162回
【PBある限り日本の亡国は止まらない、弱者救済も不可能という現実】https://youtu.be/5IOeVceC01M
本日はエジンバラから鉄道で南下しイングランドに入り、ヨーク、リーズと移動しています。もの凄~く楽しいのですが、なかなかヘビーです。
しかも、ブログをこちらの時間で22時くらいまでにアップしなければならないというのが、結構、キツイ。
時差九時間はなかなか厳しいです。 さて、ヨークと言えば、美しい「城壁」で有名です。街を囲む城壁の大部分が、無傷で残っているのです。城壁に沿って歩くことができる街は、今ではそれほどないでしょう(昔は普通だったのでしょうが)。
ヨークの城壁は、誰から街を守るために建設されたのでしょうか。もちろん「侵略」者です。 そして、「侵略」者は頻繁に変わりました。
【写真 ヨークの城壁】(撮影:三橋貴明 2019年11月11日)
元々、ヨークは「侵略」者であるローマ人が築いたものです。彼のハドリアヌス帝は、ブリテン視察の際にヨークに宮廷を構えています。 ローマ人がヨークの城壁を築いたのは、北方のゲール人(スコット人など)の襲撃からブリタニア属州を守るためでした。
その後、ローマ人が撤退し、新たな「侵略」者であるアングロ・サクソン人が大陸から襲来。七大国であるノーサンブリア王国の主要都市の一つとなります。
九世紀、デーン人(いわゆるヴァイキング)がブリテン島を急襲し、ヨークを獲得。「ヨルヴィーク」と改称されます。(幸村誠さんの「ヴィンランド・サガ」の時代ですね)
十世紀、イングランド王国のエドレッドがヨークを奪回。イングランド再統一を果たします。 と思ったら、十一世紀、今のイギリス王室の祖であるウィリアム一世の「ノルマン・コンクエスト」。
ヨークは破壊されます。 ノルマン朝が始まり、ようやく落ち着いたと思ったら、今度はピューリタン革命後の内戦で、ヨークは議会軍に包囲されてしまいます。(その後、降伏)
さて、今回の訪英で最初に訪れたエジンバラですが、岩盤と石垣の城壁が入り乱れる、美しいエジンバラ城で有名です。
【写真 エジンバラ城】(撮影:三橋貴明 2019年11月10日)
写真ではよく分からないかも知れませんが、エジンバラ城はそびえたつキャッスル・ロックという岩山の「上」にあります。完全に、軍事目的の要塞です。
世界遺産になっているエジンバラの旧市街もまた、丘の上に広がっています。真ん中に、キャッスル・ロックがそびえたち、その上にエジンバラ城がある。
旧市街やエジンバラ城がある丘の周囲は、元々は「お堀」でした。堀の目的は、もちろん侵略軍に対する「壁」であり、人びとは本来は住みやすい平地(現・新市街)で暮らすことはできませんでした。
スコットランド人が、何をそこまで恐れていたのかと言えば、13世紀末の独立戦争開始以降は、もちろん「イングランド王国」の侵略です。
ブレイブハートの世界です。ウィリアム・ウォレスです。(※エジンバラを最初に拓いたのは、ノーサンブリア) そう言えば、ブレイブハートでは攻勢に出たスコットランド軍が、まさにヨークでイングランド軍と激闘していましたが、いずれにせよユーラシア大陸から離れた島国である連合王国においても、「人民を脅かす最悪の敵は外国の侵略」であることが、街の作り方からも分かります。
大石久和先生のご指摘通り、ユーラシアの都市は分厚い、巨大な城壁で囲まれています。いざ、侵略軍が地平線の向こう(あるいは水平線の向こう)から現れたとき、市民は城壁に閉じこも続きをみる
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Source: 三橋貴明氏ブログ