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6.28 真正保守『一体何のための小選挙区制導入だったのか?』三橋貴明

真正保守『一体何のための小選挙区制導入だったのか?』三橋貴明

株式会社経世論研究所 講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから三橋貴明のツイッターはこちら人気ブログランキングに参加しています。チャンネルAJER更新しました。日本国民の可処分所得と実質賃金を引き上げるには」(前半)三橋貴明 AJER2023.5.30 令和の政策ピボット呼びかけ人に、北海道教育大学旭川校准教授の古川雄嗣先生が加わってくださいました。また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!

お前ら、緊縮財政派は神様か!財政破綻論の眼鏡を変えろよ!

[三橋TV第721回]三橋貴明・高家望愛

https://youtu.be/M8LY7KBzLf0

 珍しく選挙制度の話。 衆議院が中選挙区制だった時代、日本の政治は「決められない政治」と揶揄されたのですが、今にして思えばこれは「誉め言葉」としてとらえるべきでした。

 決められない政治とは、特定の誰かの「今だけ、カネだけ、自分だけ」の政策も決まらないという話なのです。「特定の誰かの求める政策だけが決められる政治」よりも、「決められない政治」の方が、相対的にマシです。 90年代後半以降、小選挙区制、政党助成金制度と、国会議員を縛り、リーダー(首相、官邸、党中央)の意向が通りやすい環境が作られた。さらには、内閣人事局の設置により、官僚も中央に逆らえない構造になった。 加えて、農協をはじめとして「特定の誰かのビジネス」を邪魔する中間組織がやり玉に上げられ「既得権益」との批判を受け、弱体化させられてきた。(農業分野に新規参入して金を稼ぎた~い。農協?邪魔~、消えろよ~、という感じ)  中間組織なき民主制は、極めて危険です。有権者は議論する場を失われ、テレビ等で「知っている名前」を投票所で書く。

 議論ではなく、「知られている顔」が権力を握るのです。 かつて、日本は中選挙区制でした。中選挙区制では、同じ党(要は自民党)から何人も受かる。野党や無所属にしても、トップ当選は無理でも、ぎりぎり最下位で滑り込めるかも知れない。

 結果、議論が起きた。何しろ、同じ自民党の候補者同士でさえ、同じ選挙区で喧々諤々の議論をした。結果、日本の政治は「決まらない」という意味で健全だった。 それが批判され、「政治改革」により小選挙区制になった。一つの選挙区で一人しか受からない。となれば、自民党の「公認」が当落を左右するというよりは「決める」ことになる。

 必然、自民党の新陳代謝が止まった。新たに「部外者」として新規参入してくる候補者が減り、二世議員だらけになった。(ちなみに、わたくしは結果的に二世議員だらけになった小選挙区制という「制度」を批判しているわけで、二世議員はダメ、と言いたいわけではありません) さらには、自民党議員は最も重要な武器である「党の公認」のために、党中央や自民党総裁(総理大臣)に逆らうことは不可能になってしまう。結果的に、確かに「決められる政治」は実現したのですが、もちろん次々に決まるのは「特定の誰かの求める政策」ばかりでございました。

 そもそも、小選挙区制を導入した目的は、中間組織を潰すことや、議論を封じることや、国会議員が党中央の顔色ばかりを窺うようになることや、二世偽議員を増やすことではなく、「二大政党制」を目指したためでした。英米(特にイギリス)のように、頻繁に政権交代が起きる二大政党制を続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

Source: 三橋貴明氏ブログ

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