「涙が止まりませんでした。本当に感無量です。『やってくれたな』と思いますし、自分の立てた目標を成し遂げるすごさを尊敬します。そして、そんな英樹と一緒に仕事をしていたことが誇りです」

マスターズで日本男子初のメジャータイトルを獲得した松山英樹 ©️AFLO

 電話の向こうで万感の思いを込めて語るのは、マスターズで日本男子初のメジャータイトルを獲得した松山英樹(29)の元キャディー、進藤大典氏(40)だ。

 2013年4月から2019年3月にかけて、松山のキャディーを務め、現在、ゴルフ解説者をしている進藤氏。松山と同じ明徳義塾高、東北福祉大出身で、松山のプロ転向に合わせて、サポートを始めた。この時点で松山はアマとして2回、マスターズに出場。初出場の2011年は、27位でローアマに輝いた。

現在はゴルフ解説者をしている進藤大典氏

 当時から面識のあった進藤氏は「あの時は素晴らしいプレーで、東日本大震災のあった中で送り出してくれた方々の期待に応えたと思います。ただ、後から聞いた話では、本人は世界トップレベルの選手たちとの差を感じていたようです。特にパワーの部分で」と振り返った。

日本人選手は「軽トラ」、外国人選手は「ジェット機」

 身長181センチで上背のある松山は、その差を必死に埋めにいった。「帰国してすぐに筋力トレーニングを始め、プロテインを飲むようになりました。食事の量も増やし、意識的に体重を増やしていました」(進藤氏)。そして、初出場時73キロだった体重を80キロ程度まで増やし、翌2012年に2回目のマスターズへ臨んだ。結果は最終日に崩れて54位。再び「パワーの差」を感じての帰国となった。

 その年のマスターズを制したのは、左打ちのバッバ・ワトソン(米国)だった。191センチ、82キロの体格から、ドライバー平均飛距離310ヤード以上を誇った。そんな選手が、居並ぶのが米(PGA)ツアーで、2000年代に同ツアーで3勝を飾った丸山茂樹は、よく取材陣の前で愚痴をこぼしていた。

「エンジン、排気量が全然違うんですよ。僕らは軽トラで必死に打って300ヤード。タイガー(・ウッズ)や(アーニー・)エルスたちは、ジェット機なんでマンぶりしなくても、300ヤード以上を飛ばしてしまう。この差はどうしようもないし、嫌になりますよ」

長く厳しい米ツアーを戦い抜くために必要なもの

 男子ゴルフの歴史を振り返ると、1980~1990年代に活躍した青木功(180センチ)、尾崎将司(181センチ)、中嶋常幸(180センチ)の3選手は、体格面でも世界のトッププロにも見劣りしていなかった。だが、当時はパワーよりも技術が重んじられた時代。日本人の若手では、丸山(169センチ)、伊沢利光(169センチ)、片山晋呉(171センチ)、田中秀道(166センチ)らが台頭し、2000年代には世界4大メジャーでも好結果を残すようになった。一方で、大型選手の多い欧米勢はウッズに影響され、筋力トレーニングを重ねて、さらなるパワーアップをはかった。結果、丸山をはじめとする日本人選手は「エンジンの差」を感じ始めるようになった。

 もちろん、ゴルフは今でも「体格」だけで決まるわけではない。しかし、長く厳しい米ツアーを戦い抜くには、並外れた体力が必要だ。体力がなければ、集中力の維持が難しくなり、練習の継続もできなくなる。だからこそ、世界では「排気量の大きいエンジン」を持つ選手が優位。若くしてそれを感じた松山は、プロ転向後、2014年に主戦場を米ツアーに移してからも、飯田光輝専属トレーナーのもと、より激しくトレーニングを重ねるようになった。

万雷の拍手を浴びる松山 ©️AFLO

松山くんが“悔しさ”を感じた一言

「下半身を中心にほぼ毎日、トレーニングをしていました。メニューがきつくて、時には吐いてしまうこともありましたが、強くなりたい一心で続けていました。日本でプレーしていた頃、ある人から『日本のプロ野球選手と米ツアー選手の筋力は同等だけど、日本のゴルファーはそこからはるかに下』と言われた悔しさもあったようです」(進藤氏)

 そうした積み重ねで、強靭な下半身を築いた松山は、2014年のメモリアル・トーナメントで米ツアー初優勝を飾り、2016年2勝、2017年2勝と、文字通り、世界トップクラスの選手へと進化を遂げた。

「飛距離も伸びていきましたが、『マンぶりしなくても300ヤード』の域に達したのは、2016年ですね。今の体が出来上がってきたのもその頃です」(進藤氏)