紀子さまの心配と佳子さまの反発
どうも紀子さまと佳子さまの不仲には、「ダンス」などの活動をめぐるお二人のすれ違いに原因があるようです。佳子さまは当初、ダンスではなくフィギュアスケートに熱中されていました。
このフィギュアスケートからダンスに熱が移り始めたのは高校に進学されるころ。しかしこれに、当初、紀子さまは反対されていたそうです。
「紀子さまには、HIPHOPのようなダンスは皇族にふさわしくないとのお考えがあった。世間からはもちろん、皇后陛下からもお叱りを受けるのでは、との不安も抱かれていたようで『やめなさい』と強く反対された。佳子さまも、当時は紀子さまに従わざるを得ず、一度はダンスを諦めたようでした」(同前)
『週刊文春』(2019.4.11号)「佳子さま紀子さま、ダンスで「母娘断絶」」
皇族ともなると踊るダンスの曲目にまで気を配らなければならないとは…。日本舞踊なら問題ないのでしょうか。
しかしダンスへの情熱は醒めることなく、紀子さまを言い負かしてまで熱中するように。
学習院女子高等科の文化祭『八重桜祭』では、有志のメンバーを募って“セクシー”なダンスを被露された。「沸きあがる情熱を抑えられなかったのでしょう。
この頃、再び紀子さまは反対され、相当探めたようですが、佳子さまは言うことを聞かず、逆に紀子さまを言い負かしてしまわれた。
紀子さまも、『自主性を尊重する』という教育方針で娘を育ててこられた手前、佳子さまの望みを強引に抑え付けるわけにはいかなかったはずです。この時の対立が、後の母娘関係に大きな影を落としているのです」(同前)
『週刊文春』(2019.4.11号)「佳子さま紀子さま、ダンスで「母娘断絶」」
つまり、佳子さまを色々と案じる紀子さまのお気持ちと、ダンスをしたいという佳子さまの情熱が行違ってしまったことが不仲の大きな原因のようです。
対立は今も
このように紀子さまからの反対もあり、ダンスへの情熱が消化不良となってしまっていた佳子さま。この消化不良は学習院大学時代でも続き、ダンスサークルへの入会も警備などの事情から実現せず。また、編入したIUCで、ダンスサークル『S』を眞子さまに勧められながらも、結局、実現しませんでした。
ICU時代の同級生の話。
「編入前から佳子さまは何度か(ダンスサークルの)『S』の活動を見学されていた。きっかけは、眞子さまの紹介だったそうです。
当時の佳子さまは学習院での人間関係にも悩んでいて、それを見かねた眞子さまが『ICUに来てみたら?』と誘われた。ICU は帰国子女や留学生が多く皇族を特別視しないので、そんな環境が佳子さまには心地よかったようです」
だが、ここでも警備上の問題が原因となり、結局は『S』での活動も困難な状況に。それでも佳子さまは諦めず、自分なりにスクールを探してダンスを続けてこられた。
『週刊文春』(2019.4.11号)「佳子さま紀子さま、ダンスで「母娘断絶」」
この様に眞子さまは佳子さまのダンス活動に理解を示していたようです。しかし、紀子さまは、基本的に佳子さまのダンス活動に反対のスタンスを崩していなかったようです。
「過去には紀子さまが、佳子さまの公演に足を運ばれる姿も目撃されてはいます。ただ、手放しで応援しているわけではない。背後では対立関係が、今も続いているのです」(前出・宮内庁関係者)
『週刊文春』(2019.4.11号)「佳子さま紀子さま、ダンスで「母娘断絶」」