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幻の〝安倍新党〟松井一郎氏が構想していた「自民党を出て一緒に活動を」トップに安倍氏迎え
岩田明子 さくらリポート

幻の〝安倍新党〟松井一郎氏が構想していた 

トップに安倍氏迎え、橋下徹氏を「総務相兼大阪市長」と提案「自民党を出て一緒に活動を」

日本維新の会が、統一地方選・前半戦(9日投開票)で躍進した。「地方議員600人以上」という目標達成に向け、後半戦(23日投開票)でも勢いを維持している。躍進の背景には、選挙戦、人材登用・育成における「リアリズム」の徹底がありそうだ。

その現実主義を根付かせた「キーマン」は、維新創設者の一人で、今月、大阪市長を退任した松井一郎氏だと思う。地域政党「大阪維新の会」の時代から、松井氏は現実主義的思考で「国政進出」を図ろうとしていた。

2012年3月、大阪府知事だった松井氏は大阪市内で、第1次政権からの復活を模索していた安倍晋三元首相と面会していた。その目的は、安倍氏を「新党のトップ」として自民党から迎えることだった。面会には、維新をともに立ち上げた橋下徹氏(当時、大阪市長)らも同席していたが、熱意と迫力で安倍氏を口説いたのは松井氏だった。

安倍氏によると、松井氏はこの席で、「例えば、安倍首相、橋下総務相兼大阪市長といったかたちは、どうですか」とも提案したという。

松井氏は翌月、東京都内で再び安倍氏に会った際も、「自民党を出て一緒に活動してほしい。選挙区の公認を全て委ねてもかまいません」などと、さらに踏み込んだ提案をしたという。

当時の民主党政権は、内閣支持率の下落が続き、政権交代も取り沙汰され始めていた。

安倍氏は当時、「自民党による政権奪還」を目指していたため、松井氏が提案した「安倍新党」は幻に終わる。維新に足りない「国政経験」という要素を満たすため、安倍氏をスカウトしたわけだが、その現実主義的思考は徹底していた。

安倍晋三元首相

以前、松井氏に選挙の取り組み方を尋ねたことがあり、こう語っていた。

「辻の一本一本まで細かく回る」「有権者から『何やってんねん!』と罵声を浴びても、しっかり耳を傾け、会話をする」

ポスターの貼り方は特に徹底しているとも口にしていたが、手を抜かない姿勢に驚かされた

松井氏は維新を立ち上げる前、自民党の大阪府議を経験、「自民党の強みや弱点」を知り尽くしていた。

「ザ・自民」ともいえる存在で、後輩と飲食をともにしながらいろいろな話をするなど、

面倒見の良さでも知られる。そんな松井氏の薫陶を受け、維新には徐々に人材も育ち始めているようだ。

維新のほかにも、地域政党を母体に国政に進出した政党はあったが、存在感を発揮できなかった。

維新が浮き沈みを経験しながらも国政で一定のポジションを確保できた理由の1つは、人材の厚みがあったからだろう。

橋下氏と松井氏の「二枚看板」でスタートした維新は15年、

「橋下氏の政界引退」という節目を迎えた。同年11月の大阪市長選に、

後任として出馬したのが衆院議員だった吉村洋文氏だった。

吉村氏はその後、大阪府知事に転じて維新の新たな顔となった。

吉村氏は今回の統一地方選・前半戦で、

松井氏の後継として大阪市長選に立候補した横山英幸氏ともに「YYコンビ」として各地を回り

、府知事・市長の大阪ダブル選で勝利した。国政でも、馬場伸幸代表が存在感を高めている。

維新が今後、目標の「野党第一党」を目指すためには、地方組織の強化が必要だ。政党の基礎体力は、

地方で日常的に活動する議員数で決まる。その意味で今回の統一地方選は、維新にとって「天王山」といえそうだ。

■岩田明子(いわた・あきこ) ジャーナリスト・千葉大学客員教授、中京大学客員教授。千葉県出身。東大法学部を卒業後、1996年にNHKに入局。岡山放送局で事件担当。2000年から報道局政治部記者を経て解説主幹。永田町や霞が関、国際会議、首脳会談を20年以上取材。昨年7月にNHKを早期退職し、テレビやラジオでニュース解説などを担当する。外交、安倍晋三元首相に関する月刊誌などへの寄稿も多数。

 

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