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今日は何の日? 日米開戦の日 真珠湾攻撃から日本のアジア解放の戦争が始まった。

【凛として愛】ノーカット  大東亜戦争

 

大東亜戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

今の憲法では国の交戦権を認めていませんし、天皇が勅令を出すこともありませんが、

日本が戦争を起こすときは天皇が開戦の詔勅を発し、講和あるいは終戦の詔勅で、

戦争が終結したことを知らせてきたのです。

開戦の詔勅には、日本がなぜ他国と戦争するのかという記述が簡潔に書かれてあります。

さて、日本はなぜ戦争をしたのでしょうか?日本人から見た答えがここにあります。

太平洋戦争の開戦を布告した詔書です。開戦時に官公庁や地方の役所に配付されたもの

<原文>

太平洋戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

 

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ

勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ

達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル

皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ

樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ

東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ

帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ

相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ

逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル

妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復

セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ

益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル

帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲

蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ

遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

  御 名 御 璽

   平成十六年十二月八日

 

イギリスやアメリカなどの連合国においては、主戦場がアメリカ側から見て太平洋地域であったことから「Pacific Theater(太平洋戦域)」が使用され[2]、「the War in the Pacific (Theater)」「WW II-Pacific Theatre」「the Pacific Theatre in the Second World War」など第二次世界大戦戦線戦域名が用いられた。第二次世界大戦の太平洋戦線[3]。戦時中は「太平洋戦争」という名称が使われた事はなかった[2]

開戦を知らせるNHKのラジオ放送では、1941年12月8日午前6時に日本艦隊(帝国艦隊)が、英国、米国を相手に宣戦布告と変わらない宣言をした後、ロッジの大空襲を実施すると発表した。

なお、英語スペイン語圏では、1865年のチリペルースペインの戦争や1879年 - 1884年のチリとボリビア・ペルーとの「太平洋戦争」は The War of the Pacificと呼ぶが、対日戦争は The Pacific Warと表記され区別されている[3]。また日本でも両戦争を「太平洋戦争」と表記するので国際的に「太平洋戦争」呼称は誤解を招くという指摘がある[3]

 

 

 

これを読まずして昭和史を語るなかれ!「日本の国家を弁護するのは自分以外にない」と、敢然と東京裁判の証言台に立った東條英機。

彼の証言からは、日本がいかに粘り強く日米交渉を続け戦争回避を望んだか、

そしていかにして対米英戦に引き摺り込まれていったのかが、

虚飾なき言葉で語られる。近現代史超一級の資料がここに。

 

 

 

「日本国紀」から見た大東亜戦争

読んでみて思うのはこの中で百田氏は

マッカサー証言と東南アジア諸国の証言を引用して

日本は侵略戦争をしなかったと反論する

 

そして「大東亜戦争」の章で『日本軍が欧米列強を

追い出したことにより昭和18年8月1日にビルマ

 

10月14日にフィリピンの独立が戦時中に認められ

アジア諸国は独立を得ていたと書いている

 

これは真珠湾攻撃の当日に国内外に向けて

発表した日本政府公式声明の

「帝国声明文」と一致する

というより日本軍はその通りに戦った

昭和天皇も終戦の詔勅で

「朕は帝国政府と共に終始、

大東亜解放に

協力せる諸盟邦に対し

遺憾の意を表せざるを得ず」

とアジア解放だったとハッキリ述べられている

 

日本は敗れたものの戦争目的を果たし戦後アジアは

その通りになったのになぜ百田氏は「帝国声明文」を提示して

明確に語ろうとしなかったのか疑問に思うそして百田氏は

 

インドネシアの油田地帯を抑えたが

輸送船が沈められ日本に

輸送出来なくなり主たる

戦争目的を失ったというがそうではなく

主たる目的はあくまでも

有色人種の差別撤廃とアジア解放だった

 

陽動作戦にはめられた米軍

安濃豊博士

「米英は小さな島々をめぐる戦いに焦点を当てた何故なら

アメリカが勝利したからである帝国陸軍の兵力は700万人

総兵力の4%僅か26万人しか布陣しなかった

 

太平洋が主戦場ならどう考えても勝とうとする意図が見えない

国立図書館の資料センターにある大戦指導要綱に

「敵軍を消耗させる戦いである

主たる戦場は東南アジアであって

東南アジア各国の独立を急ぐべきである」

要するに太平洋の島々に

米軍を引き付け消耗戦に持ち込み大陸アジアに来させないという

 

意図である大陸ではビルマ33万、ベトナム10万、中国本土100万、

満州60万、千島樺太そして日本本土に220万の日本軍がいた

 

太平洋戦争と呼ぶトリック

「連合軍は大陸では日本軍と日本軍が育成した

現地独立軍に全く歯が立たずボロ負けで逃げ回っていた

こういう状況で何で「ポツダム宣言」を受諾したのか

 

それは昭和天皇が終戦の詔勅で

「戦争でかかる残虐兵器を使用すれば

大和民族だけではなく人類が亡びる

それでは何のための戦争であろうか

ここは敗戦の汚名を着ててでも

耐えがたきを耐え忍び難きをしのび

戦争を止めなければならない」

と原爆使用が原因だったと述べられている

戦後マッカサーも日教組も大陸での日本軍の戦いに焦点を

当てなかったのはドイツの軍学者「クラウゼビッツ」の定義である

 

戦争目的を達成した国は戦勝国となる

日本軍によって全ての植民地を失った

欧米白人国家は植民地を守るという

戦争目的を達成出来なかった為、敗戦国家となる

 

白人国家がアジアを侵略し残虐行為を働いた悪党になっては

都合が悪いそこでこの事実を隠ぺいする為にこういうトリックを使った

東南アジア諸国は偶然、自分達の力で独立した

 

それを宗主国の欧米列強が広き心で許可したと

大陸での負け戦を無しにして太平洋で

勝ったことにする「太平洋戦争」

にすり替えるデッチ上げを行った

その通り日本の教科書に書いてある」

 

他に左翼共産党がでっち上げたプロパガンダ

日本の戦後復興は「朝鮮戦争特需」

がなければ出来なかったは嘘である

朝鮮戦争特需

「朝鮮戦争特需」は3年間で10億ドルで当時1ドルが360円

その金額は10億ドルX360円=360億円

日本の当時GDP約18兆8000億円

輸出は1200億円だったその経済効果は

1200億円÷18兆8000億円=0.6%

当時のGDPを0.6%押し上げただけである朝鮮戦争による

姦国の犠牲の上で成り立っていると

贖罪意識を植え付けようとするが

 

もし日本の後方物資支援がなければ

米軍は遠い本国から物資を

輸送しなければならないそれで果たして地の利がある

シナ、北朝鮮軍との戦いを続けられたのか?

むしろそのお陰で独立を維持出来たのだから

恩恵を受けたのは姦国である!

 

日本の戦後復興は大東亜戦争によってアジア諸国が独立し

自由に貿易が出来るようになり必要な天然資源を

日本に提供してくれたからである

日教組教育で日本人でありながら

特亜の利益のために働く反日日本人が大量生産された

 

 

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