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<長崎原爆の日> 長崎は9日、72回目の「原爆の日」を迎え、早朝から祈りに包まれた。

<長崎原爆の日>核禁止「批准を」 市長、政府に迫る

長崎は9日、72回目の「原爆の日」を迎え、早朝から祈りに包まれた。

長崎市の平和公園では平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族ら約5400人が出席した。

田上富久市長は平和宣言で、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を

「被爆地は到底理解できない」と厳しく非難し、条約を批准するよう迫った。

一方、安倍晋三首相は6日の広島市での平和記念式典でのあいさつと同様、条約に言及しなかった。

長崎の式典には核兵器保有国の米露英仏中を含め、

過去2番目に多い58カ国の代表が参列。原爆投下時刻の午前11時2分、黙とうをささげた。

田上市長は平和宣言のほぼ半分を核兵器禁止条約に割いて、

その意義を強調。「ノーモア・ヒバクシャ」という被爆者の願いが多くの国々を動かしたとし、

「『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と述べた。その上で「この条約をいかに活(い)かし、

歩みを進めることができるかが、人類に問われている」とし、

核保有国と「核の傘」の下にいる国に対し、核抑止論に基づいた安全保障政策の見直しを促した。

唯一の戦争被爆国でありながら、条約を批准しようとしない政府に対する被爆者の失望は強い。

広島市の松井一実市長は6日の平和宣言で、政府への直接的な批判や要求は避けたが、

田上市長は「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、

交渉会議にさえ参加しない姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難。

「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めた。

憲法改正の動きには言及しなかった。

今年から公募となった被爆者代表に選ばれた長崎市の深堀好敏(よしとし)さん(88)は「平和への誓い」を読み上げた。

放射線の脅威を挙げて「私は『核は人類と共存できない』と確信している」とし、原発偏重のエネルギー政策から転換するよう訴えた。

安倍首相はあいさつで「核兵器国と非核兵器国双方への働きかけを通じて国際社会を主導する」と述べたが、

核兵器禁止条約には触れなかった。非核三原則は堅持を誓った。

式典では、この1年間で死亡が確認された原爆死没者3551人の名前を記した原爆死没者名簿4冊が奉安された。

奉安された死没者の総数は17万5743人となった。【浅野翔太郎】

◇平和宣言要旨

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、

という被爆者の心からの願いを表したものです。

その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、

国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。

しかし、これはゴールではありません。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、

という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。

ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。

核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、

核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、

核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。

唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、

核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、

今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

原爆は、いつも側(そば)にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、

生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、

核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長 田上富久


名無しさん
9時間前
「悲惨だから子供に見せたくない」って意見をよく見るけど、悲惨だからこそ子供に伝えたいと個人的には思う
2度とこの悲劇が起こらないように

名無しさん
9時間前
目を反らしてはならない。

名無しさん
8時間前
作り話や加工映像なら見せなくてもいいけど、こういう残酷なことがあったという現実は、子供にも見せておかないといけないと思う。
戦争という恐ろしさは、無差別に人をこのような状態にするということを。
私なら殺されそうになっても殺すことはしないだろうね。
自分の最期をなんの罪もない人を殺してしまうなんてできない。

名無しさん
8時間前
昔に比べて学校に戦争に関する書物が少なくなったら気がする。はだしのゲン読んだときは、、そりゃ衝撃だったけど戦争は絶対してはいけないと子供ながらに強く思った。今は目を反らしている風潮がある。もっと伝えていいと思う。親になんと言われようと。

名無しさん
8時間前
長崎県に住んでたことがあります。時代が許したのか、今も継続されてるのか分かりませんが、この時期になると通ってた小学校の図書室にこういった写真が何10枚も張り出されてました。子供ながらに考えさせられるものがありました。今はそんなことしたら親からクレームが来るのかもしれませんが…戦争の悲惨さを教えることも教育の一つだと思います。

名無しさん
9時間前
死んだ弟の亡骸を背負って火葬の順番を待つ少年の写真の引き締めた口元が思い出される、彼もその後、長く生きていてくれればと祈る

名無しさん
8時間前
小3.小1の子ども達に見せてます。可哀想は親のエゴ。
子どもにも、こういうことがあったのだと伝えるのが親のしつけの一つだと思ってます。
私だって経験はないので当時の話はできません。ですが、伝えていかなければならないと思っています。夫の母方の祖母がまた元気なので話をよく聞かせていただいています。

名無しさん
8時間前
風化させてはいけないね。改めてそう思います。

名無しさん
8時間前
毎年、広島原爆資料館か江田島に子供と行きます。
年々、表情が変わってきているのが分かります。
幼い頃は怖いという感情しかなかったみたいですが、最近では言葉にはしませんがいろいろ思うこともあるみたいで。
娘19歳息子17歳。同年齢の子が召集され命を落としたことに対して、子供達なりの想いがあるんだろうな、と。
来年は娘の20歳記念で初めて沖縄に行きます。四泊五日のうちの、1日は戦跡を巡ろうと話しています。
私も戦争は知らないけど、母や叔母から聞いた話を次の世代に繋いでいくことも大切な親としての仕事と思ってます。
知らなくて良い現実だという人もいますが、私は、知っていてほしいと思う。そういう悲惨な戦争の後にこの日本の平和が作られてるんだってこと。たくさんの犠牲の元にある、守らなきゃいけない平和なんだってこと。

名無しさん
8時間前
世界各地で紛争や内戦があると、それが当たり前のような感覚に陥るが、いざ日本が標的になったとなると、これは他人事ではない。
今、北朝鮮がミサイル実験を繰り返しているが、その一発が日本に落ちて、大惨事になったらと思うと恐ろしい。
oli*****
5時間前
父が11歳で広島爆心地1.5Kで被爆しました。
母(自分にとっては祖母)を被曝1週間で亡くし、自身も助からないと言われていたにも関わらず両足、背中に大きなケロイドを残しながらも64年間の生涯を生きました。
生前は原爆や戦争の話を繰り返し聞かせてくれました。
子供の頃はあ~又始まったくらいに思っていました。
でも父は話したくない事も聞いてもらわなんにゃあいけん、これが生き残ったものの責任とも言っていました。
資料館に行った時も怖いと思った蝋人形を見てわしらからしたら子供だましのようじゃあと…あの人間が焦げていった臭いは忘れられんと…
11歳の少年が大きなやけどを負って、すがりつく瀕死の人達を払いのけて弱っていく父・母と逃げていく…現代に生きる自分達には想像さえ出来ません。
この記事にある様に父も涙も出ない、感情が全て消された心情を口にしていました。
犠牲になられた方々に、合掌。

名無しさん
7時間前
自宅跡見つけるのも困難なのがわかる。必死でたどり着いて目にしたのが母の悲惨な亡骸。私達と同じ、ささやかな幸せを大切に日々暮らしていたのでしょうに、一瞬で全てを奪われたのがわかります。そんな昔の話ではない。繰り返してはなりませんね。

名無しさん
8時間前
ただただ悲しい。
犠牲になるのはいつもただそこで普通に生きてただけの人。

名無しさん
5時間前
長崎市民にとって8月9日は特別な日です。学校は登校日になり、平和学習があります。この写真も学生時にたくさんみました。最近聞いた話だと、原爆時の写真をみて子供が具合悪くなったとか、へんな写真を見せるなと学校にクレームの連絡があるらしいです。たしかに目をそらしたい写真ですが、原爆使用が長崎が最後であり続けるためには、当時の悲惨さを理解する必要があると思います。

名無しさん
7時間前
戦争に関することは見せたくない。見せるならきちんと説明を、って思ってる人がたくさんいるみたいだかど、広島、長崎以外での平和学習ってどんな現状なんでしょう?私は広島で生まれ育ったので、小さい頃から祖父母や、先生から実体験をきいたり、毎年夏休みは平和学習がありました。
他の県がどんな教育をしているのかわかりませんが、「戦争は怖い、むごい」と子供に思ってもらうことから平和学習ってはじまるのではないかと思います。恐怖や痛みを感じることが戦争抑止力につながると思います。

名無しさん
6時間前
戦争があった事だけではなく、悲惨な状況まで
教える必要があると思う。
うちの子は20歳、19歳だけど小学生の時に
はだしのゲンを読んでいました。
当時の感想は可哀想だね。大変だったんだね。
でした。決して見せてはいけない物ではないです。

名無しさん
6時間前
こう言う写真が今はモザイク入りだったりと、訳の分からない判断で詳細を知る事が出来なくなっている。私が小学生の頃には、広島・長崎、東京大空襲、欧州の強制収容所のをモノクロだったが、見る事が出来て戦争と言う結果を多く知る事が出来たので、非常に有難かった。
ピカと言う名称が出た時に、そうした本を見ていない同級生はピカピカと言いながら体で色々と表現しながら授業中にふざけたりするんだが、物事への捉え方が変わりますね。
しかし、またこの悲劇が鼻先でチラつかされた状況にある。
海を隔てた先の国で、小型化に成功したと言った話が流れる中で。この炭化した遺体の前で呆然と立ち尽くす光景が、また繰り返される可能性が高まっている。
戦争の話はとにかく色々聞いたし、聞かされた。
トラウマだの、そう言って遠ざけるのは良くないし、遺体を見慣れてないから今の子はそれに陥りやすいだけ。こうした事実は見せるべきだ。

名無しさん
6時間前
この写真を初めて見たのは私が小学生の時です。(長崎の原爆資料館で)
他の方もおっしゃってますが、はだしのゲンを読んだのも小学生の頃でした。
私の学校もいつの間にかはだしのゲンが撤去されてたんですよね…。今思えば親が子供に読ませたくないとクレームでもあったのかもしれません。。。
はだしのゲンや原爆資料館での写真などを初めて見た時は毎日原爆の夢を見るくらい、トラウマに近いくらいの衝撃は確かにありましたが、でもだからこそ、『こんな事は二度とあってはいけない』って思えました。
言い方は悪いですが、私が戦争に関心を持ったのは原爆が入口でした。
大人になってからも長崎原爆資料館や、鹿児島の特攻隊資料館にも行きました。
小学生の子供に見せたくないと思う気持ちも分かるけど、子供だからこそ見せた方がいい、伝えた方がいいと思います。子供の頃の衝撃は胸に刻まれます。戦争の悲惨さは伝えるべき事です。

名無しさん
7時間前
経験者の意見は大切だと思う。
最後の「悲しい」って言葉が突き刺さりました。
怖いではなく、悲しいなんですね。

名無しさん
4時間前
小3のとき、長崎の原爆資料館へ行った。
今はどうか知らないけど当事は建物への被害と人体への被害でフロアが分かれていた。
で、人体への被害の展示が9歳の自分にとっては凄まじかった。
ある写真の前で脚が震えで動けなくなったのを今でもはっきりと覚えている。
目を背けたくても泣きそうになっても全く動けなかった。
異変を感じたのか母親が思い切り手を引いてくれてその場から動くことができたが、その後しばらくその写真が夢にも出てきて何度も怖い思いをした。
でも、それから30年以上経ったが、行かなきゃよかったとか見なきゃよかったなんて思ったことは一度もない。
むしろ生半可な知識のない年齢のときに連れて行ってくれた親に感謝している。
あんな悲劇は2度と起こしてはいけない。
*******
7時間前
自分が子供の頃は戦争経験者がまだ当時は沢山いて実際に軍人として戦った人もいた。
そういった人達が泣くなり現在の戦争体験者は当時子供だった人ばかり、やがてその方たちも亡くなれば戦争経験者は0になっていく
かつてこのような悲しい戦争があったのだと伝えて行くのは今の時代の私達の役目ですね

名無しさん
5時間前
初めて見る写真。
日本の全ての歴史教科書の最初のページに載せて欲しい。
見た子供は一生忘れないと思う。
そしてこれは今現在も、アメリカによって中東で起きている。

名無しさん
7時間前
戦後72年。被爆者が高齢になり、生の声で被爆体験を聞く事が難しい中、写真は当日の様子を知ることが出来る。
被爆3世として平和とは何か考える今日8月9日になりそうだ。

名無しさん
7時間前
目を背けてはならない。小学校の時に怖いから見たくないと言っていた女の子に先生がキレていたよ。いま28だけど、今は親がなんだかんだ言う時代になってて伝えて行く側も減って行くし大変な時代だと思う

名無しさん
6時間前
みんな「戦争」という表現を使うけど、「アメリカが原爆を使った」ことには焦点を当てないんだね。
何となく日本にも非があったという事を匂わせる表現だ。
戦争自体は今後も起こりうるものだけど、民間人に原爆を使うのは戦争の根本が違うと思うよ。

名無しさん
5時間前
広島・長崎に原爆が投下されたことによって
そこにあった当たり前の幸せが一瞬で奪われて、
瓦礫や死体の山を這う人、水を求め彷徨い歩く
皮膚がどろどろに溶けた人々の様子を
演劇を通してリアルに
子どもたちに伝えてくれる劇団がいた。
それを見た当時小学生だった。
何と恐ろしい光景だったか…。
幼心に酷く心が痛んだ。苦しくなって、
怖くなって、もう見たくないと思った。
30代になった今でも
あの時の演劇を鮮明に覚えている。

名無しさん
2時間前
僕は山口県生まれだったのですが、小学校の時と中学校の時に1度ずつ、広島と長崎に修学旅行で行きました。たった1度でしたが大人になってもはっきり覚えている程、強烈に心に残っています。見学した後、泣いている女子がいました。先生も涙ぐんでいました。僕は呆然としていました。それほど見てて辛い物も有りました。
でも大人になって今思うと、その体験を通じて平和の大切さをより強く心に刻んだという実感はあります。これはとても大切な事ですよね。
このような事を2度と繰り返してはならない、戦争は2度と繰り返してはならない。自分たちの後の時代に伝えて欲しい。同じように過ちを繰り返さないで欲しい。亡くなった人の中に、きっと同じ思いの方も多いのではないでしょうか。
今時の修学旅行のコースから外される事の無いように、というよりは社会見学で1度は行って欲しい、そう願っています。

名無しさん
2時間前
長崎原爆資料館に行った時、あまりの悲惨さに涙が出ませんでした。
でも、帰り際に壁にあった一枚の写真を見た時、泣いてしまいました。
小学生の男の子が赤子をおぶって、火葬場に来たという様な内容の写真でした。男の子は、無表情で亡くなった弟さんを燃しに来た時の写真。
何年経った今でもあの顔が忘れられません。
戦争が起きれば本当に悲惨です。抑止力による戦争回避が重要だと思います。このままだと、いずれ犠牲者が出ると思います。

名無しさん
7時間前
はだしのゲンが貸し出し禁止になった、なんて話もあったけど、自分が小学生の時、図書館に原爆の写真集があって見たことがある。
この写真と同じように黒焦げの遺体、皮膚が剥がれた重傷者、川を埋め尽くすように浮く遺体の写真が載っていてとても衝撃を受けたことを覚えてる。

名無しさん
4時間前
目を逸らしてはいけない
世界唯一の被爆国、この体験は後世にしっかりと受け継いでいかないといけない、その為にはやんわりとぼかすのではなく、しっかりと子供にも残酷さを伝える必要がある。
alfa
5時間前
女性、子供を含む非戦闘員を無差別に爆死させる行為は
どんな理由があっても正当化などできない

名無しさん
8時間前
戦争を知らない人たちが戦争を知らない未来に伝えていくには、辛いだろうが経験者がしっかり発信しなければいけない。また、そこから伝えていく人間が目をそらしてはいけない。

名無しさん
1時間前
戦争関連の放送が今はほぼやってないね。
こちらから調べないと何も分からない、こんな事ではダメじゃないかと思う。

名無しさん
2時間前
親や子供、愛する人を一瞬にしてこんな姿にしてしまう戦争。様々な問題があるとは思うが、こういう写真には世界中の人に戦争の恐ろしさを伝える力があると思う。

名無しさん
1時間前
長崎は、今日登校日で、平和集会があります
私がこどもの頃は、平和集会ではだしのゲンのアニメ映画を毎年体育館で全校生徒で見ました結構グロいから正直嫌で仕方なかった
原爆資料館に行く機会も地元だから多くて残酷な写真を見るのが苦手だった
戦争や原爆が怖くて怖くて仕方ない
2度とあってはならないと強く思うのは
こどもの頃に植え付けられた恐怖感からかもしれない
今だと、トラウマになるとクレーム出るのでしょうね

名無しさん
1時間前
数年前子供が修学旅行で広島に行き、原爆資料館を見てきたんだけど、旅行前の説明会である父兄が「原爆資料館をうちの子が見たらトラウマになるから、見せたくない。入らなくて良いですか」と聞いていた。その後「どうしても見れない子は外で待たせますので、連絡下さい」って手紙が配られた。
父兄の発想にも驚き、学校の対応も正直残念だった。実際数名入らなかったらしい。
うちの子も正直こういうのは苦手。高校生だけど、殺人シーンがあるような映画ドラマアニメすらいまだに見ることができないような子。医療ものドラマも血が嫌だと見ない。
それでも原爆資料館はちゃんと見てきたし、感じるところはあったよう。

名無しさん
1時間前
私は小学校2年生の時に裸足のゲンを読んだ。周囲の大人(教師、両親、祖父母)にこんな漫画があって本当のことなのかと疑問をぶつけた。全てを鵜呑みにしてはならないが広島も長崎もこのような状態だったろうと大人も興味を示してくれた。平和記念公園の展示に多くの小学生が訪れ現実におきたことだと理解してほしい。

名無しさん
9時間前
足元の黒こげの亡骸はこの方のお母さんなんでしょ?

名無しさん
1時間前
こういう写真こそ道徳などで使うとよい。
しばらく子どもは怖がるかもしれないけど、
それだけ戦争の悲惨さや命の大切さを胸に刻むのは必要だと思う。
特に今の世代には。

名無しさん
1時間前
風化させてはならない事ですね。話しも映像もしっかり後世に伝え継がないといけない。今、私達の暮らしはこの犠牲のうえにあるのだと。四六時中考えるなんてできやしないけど、何かの節目、記念日には必ず考え、祈り、感謝しなくては。
主催者
2時間前
こういうのをテレビとかで流しても、いいと思うんだよね。漫画どは分からない事実が残酷だと分かるでしょう。

名無しさん
1時間前
日本は自分たちが核を持たない使わないばっかり叫ぶけど、一番重要なのって相手に使わせないことじゃないの?
核を持たなければ相手は核を使ってこないとでも思ってるのかな?
アメリカが核を持たない日本に使ってきたのに?

名無しさん
1時間前
幼稚園から高校まで兵庫県芦屋市に住んでいました
小学校の修学旅行は広島で被爆者の体験談を聞いたり原爆資料館にも行きました
小学校中学校では8月6日は登校日で戦争や原爆に纏わる学習がありました
他の地方や首都圏の小中学校での平和教育の取り組みがどのようなものなのか気になります

名無しさん
1時間前
戦争の恐ろしさを後世に伝えたいです。自分が中学の時(現在30代)、戦争経験者から話を聞ける最後の世代と学校の先生に言われ授業の一貫として自分の祖父母や親戚に当時の話を聞いてきてレポートにまとめ授業で発表しました。その当時は特にぴんとこなかったけど、高校の修学旅行で広島に行き原爆ドームと資料館に行き、凄くショックを受けて同級生と共にい今までにない重い気持ちになりました。なので
今度は家族で行きます。

名無しさん
4時間前
うちは8月6日、9日、15日は絶対忘れちゃいけないと子供に常々話している
学校でも平和授業も無くなり、たくさんの先人の犠牲があって平和な世の中があることを忘れちゃいけない。

名無しさん
55分前
涙も出なかった。
同じ状況になったら、自分もそうかもしれない。

名無しさん
7時間前
こんな恐ろしくて悲しい現実の上に今の日本が成り立っている事、忘れたらいけないと思う。

名無しさん
6時間前
この写真といい、焼き場に立つ少年といい
もう言葉にもならない……。
この女性の今の笑顔が素晴らしくて、ホッとしました。

名無しさん
1時間前
写真を見るのとイメージや話しだけとは全然違う。
子供達には衝撃が強いと思うが、そのショックこそが争い事を反対する気持ちに繋がると思う。
ゲームや格好いい戦闘アニメや映画だけではダメだ。

名無しさん
1時間前
例年核保有の是非で
広島長崎のコメは上位に入るんだけど
今年は全然弱い
核の議論とは無縁だけど
平和憲法の象徴たる9条改憲賛成派も
それなりにいる
また一定の説得力がある
今年はその議論さえもできないくらい
広島長崎の訴求力が弱い
率直に言わせてもらうと
北の脅威があるなかで
広島長崎の平和理念なんて何の役に立つ?
ということでしょう。
私は護憲ですがあまりにもコメが弱いので。
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