スポンサーリンク

データはありません

百田尚樹気まぐれライブ「なんと、山口敬之さんとH氏が和解?」

H氏が訴訟をちらつかせた直後、ジャーナリストの山口敬之さんが、FacebookでH氏を持ち上げるような文章を載せました。

 

山口さん、H氏をヨイショして訴訟回避か、それとも水面下で和解か…? ニコニコの百田尚樹チャンネルなら生放送も動画も見放題 入会はコチラ

https://ch.nicovideo.jp/hyakuta?admis... Twitter

https://twitter.com/hyakutanaoki

 

【橋下徹さんはサムライだ】
ーぜひ、刑事と民事両面で私を訴えよ
橋下徹さんが、私や出版社を刑事告訴する方針を示したという。
これが事実なら、私は橋下徹さんの事を心から尊敬する。
私を訴えるという事は、橋下徹さんが自分にかけられた疑惑を、司法の場ではっきりと弁明する用意があるという事だ。自分にやましい部分があったら、決して出来ない決断だ。
ネット上での不毛な応酬や論点ずらしではなく、誹謗中傷でもない。公平・公正な司法の場で真正面から議論の場を作ろうというのであれば、私は大歓迎だ。
私はこれまで、橋下徹さんは、私の事をネットで口汚く罵るばかりで、大阪と日本のインフラの安全についての真正面からの議論には応じない、極めて卑怯な人間だと思っていた。
しかし、私を刑事告訴するのであれば、話は全く変わってくる。私を訴えるのであれば、私は橋下徹さんの事を高く評価する。
ただ、刑事告訴だけだと受理されない可能性があるので、民事訴訟も併せて提起される事を切に願う。
まさか、不受理を前提に、ファイティングポーズを取って見せるためだけのパフォーマンスとしての刑事告訴ではないと信じたい。
繰り返す。私を刑事と民事の両面で訴えるのであれば、橋下徹は男の中の男だ。
咲洲メガソーラーへの上海電力のステルス参入疑惑で、橋下徹さん自身に全くやましい部分がないという事の証明だし、何しろこの疑惑に正面から向き合う姿勢を示す、真のサムライの所作である。
私も法廷での決闘の準備は十分だ。この取材を始めてからはや3ヶ月。実に清々しい夜だ。
PS:
橋下徹上海電力疑惑は、6/10の大阪市議会での「咲洲メガソーラー参入問題」をめぐる4時間にわたる審議で、重要な局面を迎えています。
まずは以下の私の無料のネット記事をご一読下さい。

HANADA-PLUS.JP

【橋下徹研究⑩】「副市長案件」という虚構|山口敬之【WEB連載第10回】 | Hanadaプラス

【橋下徹研究⑩】「副市長案件」という虚構|山口敬之【WEB連載第10回】

「上海電力疑惑」について松井一郎市長は「副市長案件」、橋下徹氏は「オープンな副市長会議で決定」「今回の上海電力騒動は調査能力の幼稚な者たちがでっち上げた冤罪報道」とツイート。だが、6月10日の市議会で政策企画室政策企画課長はこう断言した。「副市長案件という言葉を聞いたことはございません」。幼稚なのはいったい誰なのか。「副市長会議」という制度は、当時まだなかったのである――。


大阪市議会で浮上した3つの新たな疑惑

Getty logo

6月10日に大阪市議会で行われた咲洲メガソーラー疑惑の追及は、この問題の闇の深さを改めて浮き彫りにした。そして、自民党の前田和彦、木下吉信両市議の戦略的かつ緻密な質問によって、少なくとも3つの新たな疑惑が浮上した。

(1)「副市長案件」という虚構
(2)市長にしかできない方針の大転換
(3)入札前から始まっていた大阪市の異常な行政判断

私が3月下旬から「橋下徹・上海電力疑惑」として咲洲メガソーラーへの上海電力のステルス参入問題を提起してから2か月の間、この件に関する発言を基本的に避け続けていた松井市長が、突如踏み込んだ発言をしたのが5月29日のインターネット番組だった。

松井氏の発言は以下のようなものだった。

上海電力の話は当時大阪市で、いま僕は市長だから、当時の経過を全部調べました。大阪市でいくと、副市長案件で、それほど大きくないんですあれは。副市長案件で、あの制度を決めた。

最初は上海電力じゃなかったんです。最初は日本の企業が中心でグループ組んでた。それが何年か後に、2年か3年後かな、そのグループの一角に上海電力が入った。でも事業はグループがそのまま同じことやるんで、これは認めていこうと。ただこれだけのことです。

だから一部で橋下さんが、「中国といろんな結託してどうのこうの」と、橋下さんはその時点で詳しいところは知らなかったと思いますよ。僕自身市長になって初めて知ったんだから。

その後も松井市長はツイッターなどを通じて「咲洲メガソーラーは副市長案件」「副市長会議での決裁」を強調し、「当時の橋下徹市長は咲洲メガソーラーに関与していない」と繰り返した。

ところが、6月10日の市議会の質疑で、松井市長の主張の矛盾が次々と明らかになった。まず、木下市議の追及で、大阪市で「副市長会議」という制度が始まったのは、2013年4月1日だということを、大阪市側がはっきりと認めたのだ。

一方で咲洲メガソーラーの実施を決めた会議が行われたのは2012年10月10日。だから松井市長の「咲洲メガソーラーの実施を決めたのは副市長会議」という説明そのものが、まったくの虚偽だったのである。

木下市議は、目の前に座った松井市長に対してこう啖呵を切った。
「どこにも副市長会議と書いてない。そりゃそや。平成25年4月1日から副市長会議がたちあがるんです。ありもしない副市長会議で副市長案件としてものが決まることはないんですね」

こういう時の大阪弁は本当に迫力がある。咲洲メガソーラーの実施を決めたとされる2012年10月10日に行われた「コスモスクウェア海浜緑地計画地における民間太陽光事業の活用について」という会議は、大阪市の行政手続き上の「副市長会議」では決してなかった。

それではなぜ、松井市長は副市長会議でない会議を副市長会議だと呼んだのだろうか。

スポンサーリンク




ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

2,402人の購読者に加わりましょう

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事