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没後四十九年 三島由紀夫氏追悼の集い「憂国忌」[桜R1/11/26]

気鋭のキャスター陣が、ますます混迷を深める日本の現状や国際情勢を読み解くべく、
日本最前線(Front Japan)の気概で、日々のニュースや時事のほか、
様々なテーマについて取り上げ、日本が進むべき正道を追求します!
キャスター:宮崎正弘・渡邉哲也

■ VTR:没後四十九年 三島由紀夫氏追悼の集い「憂国忌」(令和元年11月25日:東京・星陵会館)

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三島由紀夫と私

三島由紀夫氏が、自決したのは、私が20歳の学生のときでした。

全共闘による左翼運動の全盛期でした。周りの学生は、流行のように、連日デモに繰り出していた。

私は、生長の家の信者である姉から、影響を受け、左翼思想には、染まらずにすごしていました。

東大全共闘の学生と、一人で乗り込んで議論する三島由紀夫氏を支持していました。

自決の意味がわからず、ただ衝撃を受け、泣いていました。周りからは、変人のように、見られていたでしょうね。

しかし、自決した、年に書かれた、随筆を読むと、
今我々が感じている、戦後レジームの厚い壁に、三島氏は、絶望していたのですね。

戦後70年になろうとするのに、三島氏が思う絶望から、一歩も、前進していない日本に、唖然としますね。

三島氏の絶望に比べると、我々は、絶望が足りない、とことん絶望して、希望を見出して、生きていかなければならない。

安倍晋三氏は、三島氏のあの絶望から、やっと、日本が立ち上がる 最初で最後の希望のように思います。

ここで、安倍氏をつぶされては、永久に日本はとり戻せないそんな気がします。

【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。

 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。

 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。

 この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。

 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。

 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。

 それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。

 ◆からっぽな経済大国に

 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。

 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。

 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。

 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家)
                  ◇
みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。
                  ◇
この随筆は、昭和四十五年七月七日付産経新聞夕刊に掲載されたテーマ随想「私の中の25年」の一回目を再掲載したものです。

遠山金四郎

【任意送信のお願い】 本日、参議院外交防衛委員会で、山田宏議員が「国賓反対」を明言しました。後押しメールを送ります。賛同頂ける方は、各府省庁にメール送信をお願いします。詳細は掲示板「23時メール」送信元文・ナンバー84を御確認下さい。➡(URLは動画配信終了前に貼るとエラーを起こすため配信後に貼ります)※前回のフロントジャパン桜動画には掲示板URLが貼ってあります。

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四葉来

朝起きたら拝見させて頂きます。😊

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遠山金四郎

【一斉送信のお願い】 11月26日(火)本日23時、各府省庁に対して、メール一斉送信を行います。賛同いただける方は、23時に送信してください。内容は「現在の香港の状況に関する要望」「竹島を不法占拠し続ける韓国への制裁要望」の2件です。詳細は掲示板「23時メール」送信元文・ナンバー83を御確認下さい。➡(URLは動画配信終了前に貼るとエラーを起こすため配信後に貼ります)※前回のフロントジャパン桜動画には掲示板URLが貼ってあります。

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