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文春砲:渋沢栄一はなぜ鉄道に魅力を感じたか「日本の鉄道網のほとんどを築いた“神様”」

何でもかんでも鉄道に結びつけて話をすると、「これだから鉄道ファンは……」と言われそうである。けれど、さすがに今回ばかりは少しばかり語ってもいいだろう。4月9日に発表された紙…

山手線も!? 鉄道ファンが見た渋沢栄一「日本の鉄道網のほとんどを築いた“神様”」

4/15(月) 6:00配信

文春オンライン

 何でもかんでも鉄道に結びつけて話をすると、「これだから鉄道ファンは……」と言われそうである。けれど、さすがに今回ばかりは少しばかり語ってもいいだろう。4月9日に発表された紙幣の刷新。そこで渋沢栄一が新しい1万円札の肖像になることが明らかになったのである。

【写真】渋沢栄一が作った鉄道たち(全7枚)

渋沢栄一の事績や人物像についてはほうぼうで語られているのでここで詳しくは触れない。簡単に言えば、埼玉の豪農の家に生まれて一橋家に仕え、幕臣を経て明治時代には第一国立銀行など500以上もの会社の設立に関わって実業界の“ドン”として活躍した偉人である。で、ここで鉄道ファンとして取り上げたいのが、渋沢の起こした“500以上の会社”について。その中には、実に多くの鉄道会社が含まれているのだ。

北海道から九州まで「私鉄」を作りまくる

 まず第一に渋沢が関わった鉄道会社として取り上げたいのは、日本鉄道という会社。日本鉄道は1881年に設立された日本初の私鉄事業者である。今では存在しないのでピンと来ないかもしれないが、現在の東北本線や高崎線、さらには山手線の一部までを建設、運営していた。昨今の“私鉄”というと、いくら大手であっても特定の地方で路線網を広げる程度。それが日本鉄道は関東から東北にかけての実に広い範囲に鉄道を走らせていたというのだから驚きである。そしてその仕掛け人のひとりが、渋沢栄一だったのだ。

さらに渋沢はこの日本鉄道を皮切りに、現在の日本の鉄道網の基礎となった多くの私鉄事業者の設立に関わっている。北海道では北海道炭礦鉄道や北海道鉄道、関東では現在の日光線にあたる日光鉄道、両毛線の両毛鉄道、さらには筑豊本線の筑豊鉄道、参宮線の参宮鉄道、身延線の富士身延鉄道……。

もう手当たり次第といった具合である。どうしてこれだけ多くの鉄道会社設立に関わったのかというと、渋沢本人が鉄道の有用性に着目したという慧眼もあろうが当時の時代背景も関わっている。

渋沢はなぜ鉄道に魅力を感じたか

 1872年に新橋~横浜間で開業したことにはじまる日本の鉄道は、当初すべて“官設”で建設することを予定していた。けれども、明治政府は西南戦争などの影響で財政難に陥って、鉄道建設にお金をかける余力を失ってしまった。そこで、政府にも近い華族や財界の有力者が中心となって“私鉄”を設立して鉄道敷設を進めることになる。そしてすでに実業界で華々しく活躍していた渋沢も一役買うことになったのである。

当時は自動車も、もちろん高速道路もなく、移動と言えば徒歩か鉄道という時代。さらに東京など一部の大都市に人口が集中していたわけでもなかったから、地方を走る長距離路線であってもかなり儲かっていた。きっと渋沢はそうした“商売”としての鉄道の魅力にも目をつけていたのかもしれない。

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Source: 文春砲

Yahooコメント


名無しさん
5時間前
かつて鉄道の建設については明治時代からになりますが、当時は反対する人が多くてなかなか工事が進展しなかったり、当時の市街地から離れた場所に鉄道を敷設した事も多数あった模様です。
結果的には反対した人の考え方とは全く逆に鉄道が敷設されて駅が出来た地域がどんどん発展して、鉄道に反対した地域が年々寂れて行くと言う皮肉な結末になりました。
渋沢栄一については人其々賛否両論だと言えますが、先見の明があった事は確かだと思います。


名無しさん
6時間前
渋沢栄一は行動をする際は必ずその行いが社会に道義的に必要な物かで行動する
今の社会は儲ければ何でも良い、上と下とでは天と地の差が出てくる


名無しさん
4時間前
渋沢栄一さんの生家には亡くなられた時の写真が飾られていますが、一万円札よりも穏やかな表情をされていました。
あまり鉄道の事には触れられてはいませんが、深谷駅や東京駅に使用された煉瓦の事、富岡製糸場と海外貿易、明治・大正・昭和の礎を築いていった偉人なんだなと改めて感じました。


名無しさん
2時間前
無理やりキャッチーな題名を付けた感じ。文章を読む限り、渋沢の鉄道建設に”罪”は無い。鉄道が時代に必要だったから鉄道を引いたというだけのこと。
何事も長続きするためには利益が必要。長続きするということは社会のニーズがあるということ。明治において、鉄道建設は間違いなくニーズがあった。
ただ、時代は変わる。地方においては、ニーズが減少し赤字を生むもとになった。でも、それは、創設者渋沢の責任ではない。そういう変化を見通して、時代に対応していくことは後の世代の者の責任であったはず。創設者の”罪”というのは、乱暴すぎる。
原稿料を稼ぎたいからと言って、無理な題名、無理やりな結論は止めにしてほしい。


名無しさん
5時間前
渋沢のあらゆる所での功績はもっと知られるべきだと思います。
なんとか西洋列強に飲み込まれないよう、日本の発展に献身した人たちの話をどんどん教えたほうがいい。いまの日本は当たり前に与えられたものではない。


名無しさん
2時間前
渋沢流の日本資本主義の精神は、その後の利潤追求第一でない、修正資本主義、または混合経済の視点を見据えたのではないかと個人的に解釈しています。論語と経営を結びつけ実践する偉業、驚嘆します。
子ども向けの教材にも取り上げられていました。
渋沢栄一のすごさ(学研キッズネットより引用)
明治13年(1880)に、渋沢栄一は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎から料亭に招待された。岩崎は渋沢に「2人で組めば日本の実業のことは何事でもやれる」と共同で事業をすることを申しこんできたという。でも渋沢は「会社組織で富を分配すべき」という考え方だったから、ふたりは真っ向から対立してね。とうとう渋沢は席を立って出ていってしまう。
渋沢は、幼いころに『論語』を学んでいてね。「利益は独占するのではなく社会に還元すべきだ」という考えをもっていて、経済と道徳を両立させる「道徳・経済合一説」というのを唱えていたんだよ。


名無しさん
3時間前
渋沢栄一は過去にノーベル平和賞の候補にもなったことがあるそうだ。
一万円札の肖像画になると決まってから色々なところでこの方の功績を目にすると、今までどうして何も知らなかったのだろうと思う。
渋沢栄一が居なかったら韓国のような財閥一辺倒な民主社会になっていたかと思うと功績は偉大だ。
紙幣の肖像画に相応しいと思えてくる。
何かと弄られがちの埼玉県だが、懐の深さという所で繋がっているのかもしれない。


名無しさん
5時間前
渋沢は物流を考えていました、高崎線は前橋の絹や富岡製糸場の絹を運ぶ手段です、深谷市の煉瓦も工場から駅から都心へ。地方は人を運ぶためでなく物を運び発展しました。凄い!


名無しさん
2時間前
この記事の筆者は旅客輸送の話にしか目が行っていないが、明治期の鉄道の一番の目的は貨物輸送ですよ。
特に北海道や筑豊は、戦前産業の主要燃料である石炭を各地に輸送する重要な役割を鉄道が一手に担っていた訳ですから。
「移動といえば徒歩か鉄道の時代」って、当時の主要交通機関である船を完全に見落としているし。
文末に「今の時代から見ればということではあるけれど」とあるが、本当に当時の時代背景を掘り起こさず、現代視点でものを言っているだけの駄文。


名無しさん
2時間前
悪印象の書き方。
地域から人が都会に集中しなければ、ローカル線は需要があったのでは?
車も手が届く物となり、当時は読めなかった内容では?
鉄道は霊が抜かれると大反対をし、辺ぴな所を通らざるおえなかった地域もあります。
住民も見たこともない物が来るのは、情報のない時代で、仕方なかったと思います。
取り入れなければ、今の日本はないと思います。
aik*****

2時間前
渋沢が日本の近代化に果たした役割は大きく、
西欧が200年かかった近代化を日本は30年で成し遂げた。
今の地方鉄道の惨状を言うのであれば、
それを改善できなかった経営陣と政治的圧力を行使してきた
政治の罪が大きい。

名無しさん
2時間前
確かに三菱創業者一族と違い、自身の利益だけで動かなかった人であることは間違いない。「私がその気になれば、日本一の財閥を作っていた」という渋沢の発言は負け犬の遠吠えではないでしょう。王子製紙を三菱に乗っ取られた詰めの甘さや、「聖書じゃなくて論語でよかったね」とまで言われた女好き、関東大震災時の時の「天譴論」などにみられるように、大正時代まで大活躍されていましたが、晩年当時は老害扱いされていましたよ。
それでもこの記事はたたのテツオタが便乗してるだけのしょうもない記事でしょうが、損害保険や生命保険など大きな資本がいるものを推奨し、株式会社というしくみそのものを推し進めた功績は誰にでもできるものではないでしょう。
小林一三のほうが上とかいう人もいますが、それはものの知らない人か阪急関係者か東京関係の話は頭から否定する田舎者の発言でしかありません。もちろん小林一三もすごい人ですが。


名無しさん
6時間前
銀行、電力は知っていたが鉄道もとは、、、日本のインフラ整備の父。高額紙幣に相応しいね。


名無しさん
3時間前
鉄道会社自らが「需要」を開拓する、これが小林一三発案なのは間違いない。
都市と都市を結ぶ交通手段で有る鉄道、その路線沿いに新たな「町」「娯楽」「商業地」を作り顧客を増やす。
(宅地開発や別荘地分譲、宝塚歌劇団と遊園地、デパートや映画館=東宝)
阪急の成功を見て、他の私鉄はその手法を争って導入。
(関西私鉄はプロ野球球団を持ち遊園地も作った。商業や不動産にも注力、今の関西私鉄王国が成立)
関東の実情は「政治的」理由が大きいのでは?
国鉄の政治力は現在から想像もつかない程。
政治家の利権介入、利益調整が鉄道会社を縛った。
日本統治のGHQが唯一達成出来なかったのが、国鉄民営化です。
其れとは別に、渋沢は忙しい(笑)
鉄道事業に注力する暇は無いからね。
(朝鮮の経済近代化までもが渋沢の功績。今逆恨みされてますが)


名無しさん
2時間前
>“鉄道は儲かるもの”というイメージを作ってしまったのは、渋沢の“罪”なのかもしれない
がっかりで失礼な締めですな。
渋沢栄一が鉄道網構築に貢献したのは明らかに功績だし、
そんな彼に「今の地方鉄道の赤字」に対して意見を聞いてみたいと思うが、決して“罪”ではない。


名無しさん
2時間前
若い時に城山三郎の”勇気堂々“を読んで渋谷栄一の功績を知り、その後、人生の大きな壁に当たったときに本人自著の”論語と算盤”を読んで仕事の意義を学びました。
この記事の著者もそうですが、記事は大衆の興味本位の切り口でしか語られず、本質には触れられていません。
これが世間一般の求める姿なのでしょうか?
大衆迎合で禄を食む、マスコミは残念な存在ですね。


名無しさん
1時間前
「500以上もの会社の設立に関わった」とあるが、どの程度関わったのだろう。
実働した起業家は、1つの企業を立ち上げたあと、別の企業を立ち上げ続けて500以上もなるはずない。
500以上の会社が設立された時代に、今でいう経産省の大臣のようなポストにいたという意味か?
結局、関東の鉄道事業を広げたのは五島や堤の私鉄財閥の力が大きかったのではないか?


名無しさん
2時間前
俺の考えになるが、SONYの井深大と盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎、パナソニック(旧松下電器)の松下幸之助、いずれも個人商店から大企業へと発展させる過程で皆、渋沢栄一の経営方針、経営思想の影響を受けているのではないかと想像している。もしこれが正しければ、渋沢栄一は日本が現在、経済国家として確立している基礎を作り上げた近代の祖と言える人物ではないかと思う。


名無しさん
6時間前
都市開発という明確な目的があり、それに即した鉄道は莫大な利益を産み、東京一局集中化を促した
先見の明であり、地方の過疎化の遠因でもあると思う


名無しさん
2時間前
>実業家の渋沢が鉄道経営に取り組んだのは“利益”が得られると踏んだから。もちろん社会貢献という意図もあろうが、カネが失われるばかりの赤字経営が見込まれるなら手を出さなかっただろう。
そのさらに下地には渋沢氏のこの理念があるのを理解したうえで書いてるのかね?
”富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ”
pon*****

2時間前
>実業家の渋沢が鉄道経営に取り組んだのは“利益”が得られると踏んだから。もちろん社会貢献という意図もあろうが、カネが失われるばかりの赤字経営が見込まれるなら手を出さなかっただろう。
そのさらに下地には渋沢氏のこの理念があるのを理解したうえで書いてるのかね?
”富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ”

名無しさん
2時間前
全体的に読みやすい文章だとは思うが
>さすがに今回ばかりは少しばかり語ってもいいだろう。
この辺は
「さすがに今回ばかりは少しくらい語ってもいいだろう」
の方がいい気がするな


名無しさん
3時間前
磐越西線は、会津若松にどこから入れるか、郡山、白河、あるいは栃木の今市など地域の利害にもとづいて様々な議論があり、また会津若松からどのルートをとるかについても喜多方と会津坂下で激しい綱引きがあったが、渋沢を迎え入れると一気にまとまり、資金調達に必要な信用も一気に高まった。


名無しさん
4時間前
渋沢栄一は、ただ儲かれば手を出せば良いという発想はない。自らの信念である道徳経済合一説という思想によって事業を始めている。そこのところが、単なる凄腕の経営者とは一線を画している。だから、歴史に名を残しているわけである。


名無しさん
4時間前
>鉄道国有化の波が押し寄せてから十数年後の1918年。
>渋沢は「田園都市株式会社」という会社を起こした。
渋沢は「田園都市株式会社」よりも、“8年ほど前”の1910年に、
関西の京都と大阪を結ぶ大手私鉄、京阪電気鉄道を開業させたのだが、
それには一切触れていない。
なんとも「東京目線」を感じさせる記事。順番がおかしい。


名無しさん
5時間前
渋沢が、東急の経営を委ねた五島慶太が東京の外れであった渋谷を開発し、今日のような、外国人もこぞって訪れる巨大ターミナルシティ「渋谷」が、出来上がっている訳で、そう考えると、渋谷の発展のきっかけを作ったのも、渋沢栄一氏ということになる。もちろん「渋谷」の由来は渋い水の流れる渋谷川がある谷だったからではあろうが、「渋谷」の「渋」は渋沢の「渋」であるという意図も誰かが込めたのかも知れないと思うと、歴史ロマン、ミステリー的で面白い。考える人によっては陰謀説にまで発展したりして。


名無しさん
2時間前
正直あまりよく知られていない人だと思います。
ですが、あまりよく知られていなくても偉人というのは多々いるので、こういう風に取り上げられて自分も含めて若い世代がその人を知れるというのはありがたい事だと思います。
良い人選だと感じます。


名無しさん
1時間前
>“鉄道は儲かるもの”というイメージを作ってしまったのは、渋沢の“罪”なのかもしれない。それももちろん、今の時代から見ればということではあるけれど。
この件だけでなく、歴史上の出来事の功罪を、現代の価値観で評価する行為ほど、愚かな事はない。
鼠入昌史氏も、ご他聞に漏れず、愚かな輩の一人であると言わざるを得ない。


名無しさん
3時間前
日本史ではあまり習わない日本の近代史においてかなり重要な人物であり、今も日本を代表する大企業の設立に関わっている正に偉人、大河ドラマにもしなくてはならない人物なんですね。知りませんでした。


名無しさん
2時間前
私鉄というのは日本以外の国ではなかなかお目にかかれないもの。戦後の復興を支えた日本独自のスタイルであり、渋沢氏の貢献は計り知れなく大きいと思う。
kooooo

2時間前
時代とともに良しとされたものも振り返れば悪と取られる場合もある。
鉄道は当時は儲かっていたならその上で事業を広げるのは悪ではない。
ただ、国鉄時代に採算が悪化していたことを直視せず、地元の反対などで廃止できなく見て見ぬふりで赤字が膨らんで行ったことが失敗。
だから鉄道は儲かるということ事態、罪とは言えない、モータリゼーションに対応できなかったトップの罪。

名無しさん
2時間前
>日本鉄道をはじめとするこれらの鉄道会社は明治末にほとんど国有化されてしまう。
国有鉄道はすべて民営化されたので、先見の明があったのでしょうね。


名無しさん
5時間前
恥ずかしながら今回の件までこの人のことを全く知らなかったけど勉強してみたら一万円札の肖像になるべき人だと思った。
日本を作った人だ。


名無しさん
4時間前
明治初期に繁栄した新潟市民も、鉄道敷設に反対した。海上交通の要、汽車より船を重視したのは当然。京都市と同じように繁華街とは離れた場所に中心駅が設置され、そちらが栄えた。


名無しさん
1時間前
民間の実業家を一万円札に選ぶということは素晴らしいと思います。令和の時代に、将来世代に誇れる実業家が活躍できればいいですね。


名無しさん
2時間前
彼がなぜ知名度が低いか?
自分の名を冠した財閥や、莫大な富を子孫に
残さなかったからだよ。
社会還元。
素晴らしい人物じゃないか。


名無しさん
2時間前
その鉄道が現在は邪魔な存在になっている。ほとんど利用がない地方路線や、これから、まともに少子化の影響を受ける路線など、今後この日本国の負債になりかねない鉄道の存在は歓迎できるものじゃない。
それに、千代田線の騒動でも有名になった鉄道マニアという迷惑で精神面で異常のあるひとの言動から生ずる迷惑や犯罪行為のほか発狂的な危険な人間を増産し、これに起因した社会問題も生じさせた。この人は、明治時代の人間で現代社会にはいい影響を与える存在じゃなく異分子でしかない。
そういう人を、この日本国の高額紙幣に印刷するとは変話だとおもうね。こういう人は、韓国の紙幣やイオンの商品券に印刷するくらいでちょうど良いと思う。


名無しさん
1時間前
渋沢栄一は、「資本主義の父」といわれているが、結果的には「インフラ整備の父」となった。「罪」という意味が全く理解できない。儲かる時に敷設し、赤字になった時に、時代環境に合わせて社会全体のB/Cを見極めつつ存廃などの方向性を議論していくだけであり、それが出来ないのなら我々の罪。儲かる間だったからこそ敷設でき、日本の発展に繋がった。


名無しさん
1時間前
良い記事だな。
同じような事が田中角栄の高速道路の記事を見たことがある。
その記事も現在に田中角栄が生きていたら、
高速道路を無料にしているだろうだった。
時代とともに変わるのは必然だ。
don*****

2時間前
「鉄道は儲かるもの」というイメージを作ったわけではなく、「時代が変わって鉄道が儲からなくなった」のだと思うが。
別に儲かるからと言って無軌道に造られたわけじゃないからさ。

名無しさん
3時間前
そりゃまあ、明治の初期に、「欧米」に行ったことのある人は極少数ですから、
「何でも兼務・兼任」
なわけです。銀行も工場も鉄道も一斉に同時に作らなければならない、人材は限られるとなれば、同時にいろいろやらざるを得ないわけでしょう。
実際に、1人で会社を作っていったわけじゃありませんね。


名無しさん
2時間前
海外の人に分かりやすくをコンセプトにするなら人物はやめて建物オンリーか数字だけにしたほうがいい
言ってることとやってることがチグハグすぎ


名無しさん
4時間前
鉄道国有法の対象になったのは貨物輸送を担う路線でこれは今の国鉄の原型になってる。
他方で通勤客目当ては今の私鉄の原型。
で、前者は長距離輸送ということで作られたんやけど、例えば、関西で言うたら遠く滋賀県の人身事故が神戸にまで及んでくる、てのもまたデメリットやろね。


名無しさん
5時間前
過疎解消に向け一局集中の範囲を全国に広げよう。


名無しさん
3時間前
鉄道網をほとんど築いた神様は、根津でもなく、渋沢栄一でなく、やはり小林一三だ。
当時倒産寸前の東京電燈の立て直し(首都圏電鉄には不可欠てまあった)、
第一次近衛内閣に於いては、商工大臣、吉田茂の下で戦後復興大臣も歴任しなによりも、初代国鉄総裁を蹴った男だ。
田園都市株式会社の経営とあるが、田園調布開発、東横線沿線の娯楽施設やデパートも全て小林一三の提言のもとに出来たものにすぎない。
残念ながら、いわずもがな、鉄道ファンが見ようと誰がみようと、鉄道の神さまは、渋沢栄一てはなく、小林一三だ。


名無しさん
1時間前
渋沢の一番の功績は身内を一人も自身の会社に入社させなかったことだな。これはなかなかできないよ。


名無しさん
35分前
我々が今の時代に考えつく程度の単語で括りつけられるような、小っさなカテゴリに収まる人ではありません。
攘夷派でありながら慶喜公にも仕え、明治政府に請われて多くの分野に礎を残しつつも藩閥政治に反発して下野、その後は産業界各方面で八面六臂、そんな無頼の人なんて他にいませんよ。
彼の生きざまは「固定化された勝者の味方はしない」ということに尽きるのではありませんかね。実業家であると共に共利共栄の思想家でもあると思いますよ。


名無しさん
4時間前
地方の名門企業にもまさかと思うところでちょろっと顔出してたり。
こういう人がいないと日本は近代化しなかったんだから感謝しなきゃ。


名無しさん
2時間前
うーん、明治初期の資産家の投資目標に鉄道があったって説明が無いと分かりずらい話だと思うよ。
後世明治を代表する資産家、雨宮敬次郎が「鉄道王」と呼ばれ、渋沢栄一がそう呼ばれてないのは
それなりの理由があるわけだし。

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