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8.29 読売に続いて、産経が木原擁護、官邸擁護にまわる「喋り出した刑事たち 井口文彦」
日曜に書く

喋り出した刑事たち 論説委員・井口文彦

事は口が堅い。

捜査に関する情報を口外するなど、まずない。どこでどう容疑者側に伝わってしまうか、分からないからだ。

捜査終了後も黙して語らない。事件を語れば、当事者の「知られたくない事情」に触れてしまいかねない。

犯人を逃さぬため。被害者をこれ以上傷つけぬため。禁欲的ともいえる職業的沈黙の積み重ねが、警察への信頼になった。

が、その価値観では測れぬ出来事が起きた。7月、退官直後の殺人担当刑事が記者会見し、捜査批判をしたのだ。組織は揺れ、同僚たちは絶句した。

警視庁捜査1課元警部補、佐藤誠(64)である。

記者会見

平成18年、東京で28歳の男性が死亡した。覚醒剤が検出され、警視庁は自殺と判断。12年後の30年、再捜査され、男性の妻だった女性を聴取したのが佐藤だ。女性は木原誠二官房副長官の妻になっていた。

再捜査でも事件性は薄いと判断され、打ち切りに。5年後の今年、『週刊文春』が「木原が圧力をかけ、自殺として捜査を中止させた疑いがある」と報じた。佐藤は取材に実名で応じ、自殺とした警視庁判断を「おかしい」と批判した。それが「不透明な捜査結末=政治的圧力?」との疑惑記事の構図を構成する要素に使われた。

記者会見の会場は文春関連施設。記事を補強する〝イベント〟の色彩が濃かった。

会見で佐藤が述べたのは大きく3つ。①自殺とは思えない。ただ事件性を証明する証拠もなかった②遺族に再捜査結果を説明することなく、異様な中途半端さで終結した③官房副長官の妻ということで面倒だとは思ったが、木原から捜査に圧力をかけられた認識はない。

長官に「カチンと」

ではなぜ会見したのか。佐藤によれば、この話を知った契機は動画サイト。捜査資料が流出しているのかと驚いた。文春から接触があった際、情報源の探りを入れたが、取材は断った。

そうした折、警察庁の露木康浩長官が「事件性はない」と発表した。佐藤は「これにカチンときた」と言う。

「あれを自殺と断定? あの証拠状況で事件性がないと言う警察官などいないですよ。遺族が可哀(かわい)そうじゃないですか。黙っていられなくなった」

長官が噓(うそ)をついている、頭にきた、全部話すしかない。「そう思っちゃったんです」と言う。一方で「退職したら何でも喋(しゃべ)る警察なんて気持ち悪いですよね。分かってはいます」と冷静さも保ってはいる。

佐藤の行動はどう評価されるか。同僚、OB仲間の大半は否定的だ。趣旨はこうだ。

《何があったにせよ、退官後に捜査内容を暴露して批判するなど警察官にあるまじき行為。文句があるならなぜそのとき捜査会議で言わず、今になってしかもメディアに言うのか》

告発か、倫理欠如か

一方でごく少数だが、評価する声もある。

《正論を言っても階級組織の警察では潰される。正義を実現しようと思ったら告発もある》

佐藤会見の1カ月前、警視庁が被告となっている国家賠償訴訟で公安部の現職捜査員が対象の事件捜査を「捏造(ねつぞう)だった」と証言し、騒然となった。これも公益通報に近い行為かもしれないが、相次ぐ捜査員の反旗に「警視庁はどうなっているのだ」と統治不全を疑う向きもある。警察官僚は「モラルハザードは否定できない」とみる。

「平成に入ってから、幹部OBが本を出版するため事件資料を現職に持ち出させたり、テレビに出演して捜査情報を喋る例が続いた。挙げ句には、元首相銃撃で歴代警視総監OBがあらゆるメディアに露出し、かつての部下の要人警護部門をこきおろす。上司、先輩のそういう姿を見て、現職は何を感じるでしょう。口を開くことに抵抗が薄れてもおかしくない」

佐藤の行為を「けしからん」と切って捨てるのは簡単だが、それでは済まない問題が潜んでいるように思える。

見落としがちだが、疑惑を招いたそもそもの原因は警察の捜査の甘さにある。自殺なら、遺族も納得できる証拠を揃(そろ)えるのが捜査だ。それができていない、自他殺すら鑑別できない―だから、臆測を呼ぶ。そのことから目を背けてはなるまい。=敬称略(いぐち ふみひこ)

文春砲電子版より

岸田首相も「大丈夫だよな?」

 生涯で1000人を超える女性を相手にしたというイタリアの文筆家ジャコモ・カサノバのように、多くの女性を魅了してきた木原氏。その胆力も常人離れしているのだろう。女性問題が報じられても動じることはなく、冒頭のように、子供たちと手をつなぎ、愛妻に笑顔を向けていた。

 だが、その4日後に「週刊文春」が報じたX子さんを巡る疑惑は衝撃的なものだった。彼女には結婚歴があったが、前夫は2006年、自宅で死去。当初、警察は不審死として処理したが、木原氏と結婚後の2018年に捜査を再開。X子さんは重要参考人として事情聴取を受け、自宅や実家に家宅捜索も入ったのだ。

「当時、木原氏は自民党の政調副会長兼事務局長として、岸田文雄政調会長を支える立場。文春の続報によれば、木原氏はX子さんに対して『俺が手を回しておいたから』、『刑事の問いかけには黙っておけ』と語っていた。一連の報道に対して木原氏は『事実無根』と主張し、刑事告訴する構えです」(前出・デスク)

 だがX子さんを巡る疑惑は、再捜査当時から、永田町で有名だった。「二階俊博幹事長(当時)は木原氏を呼び出し『今のうちに離婚した方がいい』と助言。いつしか岸田氏の耳にも届き、『木原の件、大丈夫だよな?』と心配していました」(自民党関係者)

岸田文雄首相 ©時事通信社

 現在は「囲み取材にも応じず、逃げるように官邸の裏口から出入りしている」(前出・デスク)が、異変が生じているのは記者対応だけではない。7月、岸田氏がカタールなどの中東3カ国を歴訪した際、木原氏が同行する予定だったが、突如、磯﨑仁彦副長官に変更された。政治ジャーナリストの青山和弘氏が語る。

「表舞台には立たせられないと判断したためでしょう。副長官としての職務にも支障が出始めており、党内からも『今夏の内閣改造で交代させるべき』との声が高まっている。ただ、岸田首相の腰は重いようです」

 かつて離婚を促したという二階氏も、本誌の取材にこう首を傾げる。

「代わりの人材はいくらでもいるよ。いるけども、そりゃ任命権者のご判断だからね……」

目玉政策を次々と発案

 なぜ更迭できないのか。官邸での勤務経験もある霞が関幹部は、「極めて優秀なアイデアマンで、政策立案では欠かせない存在」と評する。

「総理が今年の年頭会見で表明した目玉政策『異次元の少子化対策』を発案し、ネーミングしたのも彼でした。総理の頭に無かった政策だが、昨年末頃、『打ち出すべきだ』と強く訴えた。他にも、昨年ぶち上げた『資産所得倍増プラン』や、2022年を『スタートアップ創出元年』と位置付けたのも木原氏で、主要政策のほとんど全てに関わっています。スピーチライターとしての役割も担い、施政方針演説や会見の原稿もチェック。『総理はこういう言い方は好まない』と、細かく注文をつけています。昨年5月、英国の金融街シティで講演した際の『インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)』というフレーズも考案しました」

ゼレンスキー大統領を出迎える木原氏 ©時事通信社

 各党とのパイプ役も担う。6月30日、創価学会の佐藤浩副会長も姿を見せた公明党埼玉県本部主催の会合に菅義偉前首相と共に出席。その3日後に名古屋で開かれた公明党愛知県本部の会合にも出席していた。

「埼玉では、会合終了後もホテルに留まり、夜8時30分まで関係者と協議を続けていました。公明だけでなく、日本維新の会との関係も深く、馬場伸幸代表や遠藤敬国対委員長とも会合を重ねています」(同前)

 岸田氏がここまで信頼を寄せるのは、総理の座を勝ち取った2021年総裁選を共に戦った“股肱の臣”でもあるからだ。前年の総裁選で菅氏に敗れ、無役となった岸田氏は1年がかりで公約を準備。毎週水曜日になると、衆議院議員会館の一室に岸田派の議員を集めて政策を議論。「新しい資本主義」など、現政権の看板政策のモデルを練った。岸田派の武井俊輔・外務副大臣が語る。

「5人ほどで始まった勉強会で、地方行脚や議連を回る担当などが割り振られたが、全体を取りまとめたのが兄貴分だった木原さん。総理が最も厳しい時期を支えたことが現在の信頼につながっているのでは」

「総理の精神安定剤」とも言われ、官邸内での存在感は増すばかりだ。

「松野博一官房長官は安倍派所属ですし、首席秘書官の嶋田隆氏や事務の官房副長官の栗生俊一氏も官僚で、苦楽を共にしてきたわけではない。最も心を許せる存在が木原氏なのです」(前出・霞が関幹部)

総理の最側近として国家の舵取りを担う一方、多くの醜聞も報じられる。毀誉褒貶が相半ばする木原氏とは、いったい何者なのか。

記者会見する木原官房副長官 ©時事通信社

 1970年、渋谷区に生まれた。

〈祖父も親父もそして兄も皆な銀行員で、私だけが道を外した〉

 自身のブログでそう綴ったように、父・雄一郎氏は、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)本店営業部長を経て、後に日本テレコム(現・ソフトバンク)の英国現地法人社長を務めた。祖父は第一銀行(現・みずほ銀行)の元取締役で、曾祖父の下坂藤太郎氏は台湾銀行の副総裁だ。5歳年上の兄・正裕氏は昨年1月から、みずほフィナンシャルグループの社長を務めている。

 幼少期は父の転勤に伴い、シカゴやアムステルダムなどに居住。当時からの趣味はミラノの大聖堂などの教会巡り。帰国後、新宿の区立小学校に編入すると、野球を始め、巨人の江川卓投手に憧れた。ごく普通の少年が選んだのは、中高一貫の男子校・私立武蔵だった。

「一日中テニスに明け暮れて、こんがりと肌が焼けていた。当時の武蔵はヴァイオリンなどの楽器を嗜むお坊っちゃんが多く、木原君もピアノに熱中していました」(同級生)

 服装にもこだわりを持ち、社会人向けのファッション誌を愛読。アイビールック好きの兄・正裕氏の影響を受けたのか、三つ揃いのスーツで登校したこともあった。

「他校の女の子にもモテて、『ピアノも弾けるんだよ』とアピールしていました」(別の同級生)

ロン毛の先輩をボコボコに

 ブログで、〈自由すぎて、時として自由を履き違え、羽目を外すこともありました〉と中高時代を振り返ったように、他の同級生とは異質な一面を見せることもあった。

「感情の起伏が尋常ではなかった。中学時代、談笑していた同級生の顔面を、突然ぶん殴ってメガネを吹き飛ばしたことがありました。同級生の発言が気に障ったのかもしれませんが、あまりにも突然のことでした。親友と呼べる存在はおらず、彼と親しいように見えた同級生も『アイツは孤独なんだよ』と」(同前)

 高校に進学した直後には、こんな“事件”を起こしていた。当時のクラスメイトが明かす。

「1学年上に、金八先生のようなロン毛で、少し説教がましい先輩がいた。ある日の休み時間、木原君は彼をボコボコにしたのです。教室にいると凄い物音がしたので、何事かと思って廊下に出ると、先輩の髪を掴み、殴る蹴るを繰り返していた」

 唖然とする級友たちに対し、木原氏はおもむろにこう呼びかけた。

「お〜い、誰かハサミ持って来いよ。コイツの髪、切るから」

 

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