スポンサーリンク

データはありません

2023.8.10【米国】原爆投下は戦争終結に必要なかった。米政府は認めていた。

今日のテーマは原爆投下は戦争終結に必要なかったアメリカ政府文書が認めている」ということでお送りいたします。

8月の9日が長崎への原爆投下の日でした

今年も広島長崎に原爆が落とされた日にを迎えています。

78目です。

そんな中であの原爆とかは第二次世界大戦を終結に導いたという言い方が世界ではよく
されます特にアメリカでしかしそれは本当だったのかこのことを考えてみる動画にし
たいと思っています。

もう1点あります特に2つ目の原子爆弾長崎8月の9日に長崎に落とされた原子爆弾

この爆弾を運んだアメリカの米軍機の乗組員たちは全員クリスチャンでした。

そして彼らが標的にした場所は長崎の浦上天主堂です。

当時日本で最もクリスチャンが多かったところです。

そしてこの原爆を落としたアメリカとは

世界で最もクリスチャンの多い国でした。

クリスチャンがクリスチャンをあの原爆で殺した。

この歴史の皮肉について考えてみたいと思います。

さて核兵器この核兵器を人類の歴史上民間人に使用したことのある国は
たった1か国ですアメリカです。

/それからすでに80年近く経った今日でもアメリカの政府、マスコミ
教育者たちは日本を降伏させ第二次世界大戦を終わらせるために
原爆投下は必要だったと主張しています。

私は大学大学院を出た後にアメリカの会社に勤めました。

大学の時に一度アメリカにも留学しましたその時にこの話は何度も何度も繰り返して
きました。

広島長崎への原爆投下は必要だったんだとという話です。

日本人としては全く納得できない論理でした。

彼らの論理は広島長崎の原爆はその後の戦闘で失われるはずだった多くの
命を救ったんだとという風に

このもう筆舌に尽くしがたい残虐行為を崇高な行為にしています。

しかしこの説は全くの誤りであるとということを私が言っている
のではなくてアメリカのメディアが言っています。

これは今から10年前2013年の5月30日のフォーリンポリシーという
外交政策専門の極めてアカデミックなウェブサイトメディアです。

でこういうことを言っています。

日本を第二次世界大戦で日本を倒したのは原爆ではなくスターリンになった。

このアメリカでの通説。

あの2つの原爆が確かに大変な人類の悲劇だけどそれによって
日本を倒して何に世界対戦を終わらせることができて多くの命を救ったんだというこの
論説この説は間違ってるんだってことをこの時に言ってるんですね。

日本の指導者はいつ降伏を決めたのか

通説では広島長崎の原爆が落とされてその悲劇を見てやっと日本の指導者たちは
降伏を決めたんだとなっているわけですね。

確かに正式には8月の10日の御前会議、8月9日が長崎の原爆ですから

その翌日にあたりますポツダム宣言受諾を承認しています。

しかしですね本当の事実は違うということをこのフォーリンポリシーは言っています。

8月9日の朝、この御前会議は8月10日、その前日の8月9日の朝

長崎の原爆投下が8月9日の11時2分ですからその前なんです。

その前に日本政府当時の日本政府の最高会議が開かれています。

これは日本政府の6人のトップで構成されていた。

ここでポツダム宣言受諾の方向にすでになったんですね。

これ長崎の原爆の前です。

日本はこれまで14年間も戦争を続けてきたわけです。

日中戦争から始まってで第二次世界大戦この14年間の戦争を続けてきた
日本の指導者が突然考えを変えて降伏するという風に決めた原因。

これは広島長崎の原発原爆ではなかった。

そうではなくてソ連の宣戦布告だったという風にここでは言われてるんですね

これはすでに多くのところでも言われてますね。

でそれは何かというと8月9日の未明8月9日の9日の未明にソ連が対日参戦を宣言しています。

当時日本とソ連の間は日ソ中立条約だったんですが、

それを破ってソ連が突然宣戦布告してで満州樺太に侵略を開始したわけです。

でそれまで日本はソ連にはこの戦争の停戦の交渉の仲介役これを期待していたわけです。

しかし全く違った方向に逆に宣戦布告されてしまったわけです。

この時日本はどういう布陣を弾いていたかというと

日本はまず単位アメリカはアメリカの侵攻のアメリカがもう日本の
本土に向かって進行してくるその標的はまず九州だろうという風に予測してたわけ
ですねこれは当たっていたでそのために満州にいた陸軍の部隊を非常に強い部隊を
九州に移動させていたわけです。

あの満州にいた部隊がいなくなった後そこにソ連が宣戦布告して入ってきた。

ソ連軍は10万でさらに南樺太はもうあっという間に侵略した。

あと10日もあれば10日から2週間もあれば北海道に上陸して進行する
準備ができるというところまで来ていたわけです。

その北海道を防衛するための日本軍は神戸師団と2個旅団だけしか
なかったということでこの段階で日本はどうなったかというと
アメリカとソ連という2つの大国と二正面で戦うことになってしまったわけです。

この2正面作戦これは不可能なわけですね。

これなんかいい歴史や繰り返すで岸田政権がそうなりそうな嫌な感じがあるんですけど

この時はもう完全に2正面になった戦いという不可能な状況になったわけです。

米軍が九州に侵攻するまではまだ数ヶ月しかしソ連軍の北海道侵攻まではもう10日しか
ないわけです。

でここで一挙に日本の選択肢は消えるわけです。

日本は外交交渉もしくは軍事でなんとかこの難局を超えようとしていたわけなんですが

もう選択肢はなくなったわけです。

ここで日本は降伏をもう決めていたんです。

御前会議の前にで日本に降伏を決めさせたのはこのソ連参戦だったわけです。

この状況に焦ったのはアメリカでした。もしソ連が先に日本を破ってしまったら
日本はソ連の配下に入って社会主義国になる。

そうするとこの後第二次世界大戦が終わったら日本日本との戦争が終わっても
ドイツは特に終わってますから日本との戦争が終結したら米ソ冷戦が始まる
というのはもうみんなわかっていた。

そこでこの日本に対してアメリカが原爆を投下する。

これは戦争を終わらせるためでも何でもなくこの後すぐ始まる。

米ソ冷戦のソ連に対する第一撃だったというのがこのお話なんです。

日本からしてみたらとんでもない話なんですが

この件に関してこれはつい2日前昨日おとといになりますが

8月20日ジオグラフィックジオポリティカルエコノミーというそう
いうサイトなんですけどこのサイトにですねこういう記事が出ました。

原爆投下は戦争終結に必要なかったアメリカ政府文書が認めているという内容です

広島弾長崎への原爆投下は第二次世界大戦を終わらせるために必要なかったと実は
アメリカ政府の文書がすでに認めている。
日本は降伏寸前だったさっきのお話の通り
核攻撃はソ連に対する冷戦の最初の攻撃だったんだとということをアメリカ政府
文書が言ってるんですね。

このそれも第二次世界大戦終わったすぐにです当時のその文章ですねそこにこう書かれている。

1945年12月31日以前終戦の年ですよね1945年12月31日
以前そしておそらくは12月ではなくて1945年の11月1日以前であれば
原爆が投下されなかったとしても日本は交付して降伏していただろうとという風に
アメリカ政府自身がもう分析していたんです。

同じようにアイゼンハワー大統領、第二次世界大戦の時はヨーロッパ先生の時の
将軍でしたこのアイゼンハワー大統領が戦後こう言っていますこのご自身の回想録
の中でアメリカの原爆投下を非難して「日本に原爆を落とす必要はなかったという風に
回想録で書いてるのです。

まあこの時アイゼンハーはヨーロッパ戦線、日本戦線日本との戦いは
担当してなかったんですけどそれを非難してました。

ここまでがここまでが広島長崎への原爆投下っていうのがアメリカや世界で
言われてる通説それは嘘であるとその嘘を嘘をもとにしてこれまで
核兵器についての理論とか思想っていうのが戦後ずっと何十年も続いてきた。

それが根本的に間違ってたんじゃないかというお話なんです。

もう1点これはコンソーティアムニュースという
サイトでこれ8月の9日昨日こういう論説が出ています。

最もクリスチャンらしくない行為だった長崎原爆という内容です。

この内容に入る前に私自身も元々父がクリスチャンでクリスチャンの親のもとに言われて高校
大学院とキリスト教の学校ででキリスト教の教会に通いながら
ニューヨークでもロンドンでもクリスチャンとしての生活を送っていた。

そういう人間でありますでその中でこの話は非常に最も残念な話であります。

長崎原爆投下のアメリカ米軍機の乗組員は全員クリスチャン

彼らの標的は東アジア最大のキリスト教会浦上天主堂

当時長崎は日本で最もキリスト教徒が多い年だったんですね

そして当時アメリカは世界で最もキリスト教国の多い国だった。

そういう国が長崎にクリスチャンたちによって

あの原爆が落とされるこんな歴史の悲劇があるんでしょうか。

クリスチャンの乗組員たちは戦争中の命令に確かに従っただけでしょう。

しかしこれは明らかに民間人への大量虐殺でありニュルム
裁判の後に行われた二の丸裁判の人道に対する罪にあたるわけです。
この長崎の方に焦点を当てるとこの元々この2発目の原発原爆これは
小倉に原爆投下をのはずだったんです。

乗組員は目視で爆弾を投下するように指示を受けていたの
当時この当日この日僕らは雲に追われてい
てで国連の状況で3回
爆弾投下に失敗しています。

そのためバックアップで第二の標的として用意していただいた長崎に向かったって言うんです

当時アメリカは日本の人口10万人以上ですかねの年に全てに爆弾を落とすということで
準備してたわけですけども長崎が残っていたわけですよね。

その長崎にあったある裏紙天主堂っていうのは当時のメガチャーチだったんですね
12000人の日本人クリスチャンがいたわけです
メガチャーチっていうのはアメリカでだいたい万単位の教会員のいる巨大な教会のことを
メガチハチと言うんです。

しかしこの当時今から80年前にこんなメガチャージが日本にあったというのは驚きです。

12000人の日本人クリスチャンもう今で言ったらその10倍ぐらいに当たるん
じゃないでしょうか。

数十万人のをの教会と言ってもおかしくありません。

しかしここまでのメガチャーチになるまでにこの長崎は大変な歴史を
経験してきてるんですね。

もともと1549年イエズス会のフランシスコザビエルがこの長崎に教会を設立しています

それからその後ポルトガルとかスペインがここがクリスチャンの町になったってことで
いっぱい入ってくるんですけどこれもう売人というか悪どい商売人がいっぱい
入ってくるわけですね

キリスト教を利用してでそこで日本との貿易で日本からの搾取をするわけです

それを見た当時の江戸幕府が日本はヨーロッパ人を長崎から追放します。

日本から追放しそれからキリスト教を大弾圧するわけです。

この当時日本人でキリスト教徒であるということは死罪に当たる十字架刑にあり

もうものすごい拷問に合うわけですよね

で誰の目から見ても日本のキリスト教はこの時代で絶滅したかに見えたわけです

ところがその後幕末黒船が来航します。

これによってアメリカとの貿易のために日本が開国となるわけですね。

その時に長崎に長崎には何千人ものクリスチャンが実は存在していた。

幕府に全く知られずに信仰生活を送っていたことが判明するわけです。

これはもう幕府にとっては大変な屈辱だったわけですね。

当時でこの後実はこの後もう1回この長崎のクリスチャンたちは
弾圧を受けるんですけどしかし長崎のキリスト教はこの地下地下教会から
よみがえるんですね。

蘇ってそして1914年には政府援助一切なしに巨大な聖マリア大聖堂この
浦上天主堂を作るわけですね。

これが当時のその浦上天主堂

ところがその31年後そこに原爆が投下されるわけです。

このこの当日この浦上天主党の教会内で許しの奇跡というカトリックの
サクラメント奇跡の儀式に国会というねあの悔い改めるっていうそういう
儀式をやってたわけなんでたくさん人がいたわけですその最中に
この状況に原発現場原爆が落とされる6000人が即死したと言われています12000人の
教会のうち8,500人が死亡残りの人たちは致命傷であったり不治の重症を負っています

またその子孫たちも何代にもわたって免疫不全になったりとかしてる

今でも苦しんでる方々がいらっしゃるはずです。

でここで歴史の悲劇その歴史の悲劇というか悲劇的な皮肉があったわけで。

日本の指導者たち250年も迫害してきたわけです。

しかし250年の迫害でもできなかったことキリスト教の
絶滅これをアメリカのクリスチャンは9秒でやってしまったとという
皮肉です。

非常に悲しい内容です。この原爆投下から50年後当時
米軍の従軍神父だったジョージジャベカルザベスジョージザベルカという
神父が長崎を訪れて涙ながらに悔い改め、原爆投下に加担したことへの
赦しを請うています。

こういうこのようにアメリカのクリスチャンの中に78年前に長崎
原爆の罪と向き合っているものもいたということです。

こういう歴史の皮肉があったということを改めて我々日本人も知っておきたいと思います。

今日はここまでですご視聴誠にありがとうございました。

 

 

スポンサーリンク




ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

2,402人の購読者に加わりましょう

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事