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真🌸保守速報!「トランプが香港を救う!」法廷で流した周庭の涙、「暗黒都市」に向かう香港

法廷で流した周庭の涙、「暗黒都市」に向かう香港の現在地

小川善照(ジャーナリスト)産経新聞より引用

 2015年のクリスマス、19歳になったばかりだった香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)は東京・渋谷の駅前にいた。香港の視聴者に向けてインターネットで生放送をするというのだ。筆者は彼女の取材に付き添っていた流れで、動画配信を同行カメラマンと見守ることにした。
 渋谷駅前で、サンタ姿の人らにぎこちない日本語で話しかけては、彼らとともにスマートフォンの向こうの香港人に向けて、広東語でメリークリスマスを意味する「聖誕快楽(セィンダンファイロッ)」の声を届けていた。半裸状態の男性やバイクで回る人たちにも協力を呼びかけているうちに、視聴者数は3千人を超えていた。
 スマホを向けられて当惑した日本の「パリピ」も周庭の雰囲気に心を許したようだった。その屈託ない笑顔は、時として民主活動家という顔を忘れさせた。
 だが、それから数日後の2016年1月3日に彼女は笑顔が一切ない動画を配信することなる。「銅鑼湾(どらわん)書店事件」だ。
 中国政府に対する批判本、共産党幹部のスキャンダルに言及する本など、中国では禁書となる書籍が香港では出版されていた。これらは、香港で保障されている言論の自由の上に成立していた。そうした本を扱う銅鑼湾書店の関係者が2015年10月から次々と失踪しており、中国当局に拘束されていることが判明したのだ。香港の中で中国当局が香港人の身柄を拘束するなど一国二制度の危機である。日本に滞在していた周庭は、流ちょうな英語で全世界に向けて香港の自治の危機を訴えた。
 この日、晴れ着を着てみたいという周庭のリクエストに応じて、知人の伝(つて)を頼って着物と着付けをお願いしていた。着付けの前に配信された動画は再生数をどんどん伸ばし、最終的には9万回以上を数えた。驚いていると、事も無げに彼女が言った。
 「香港で社会運動をやっていると、これくらいの再生は当たり前です」
 初めて取材してから6年となるのだが、周庭については、こうした笑顔と時に見せる活動家然とした表情しか思い浮かばない。立法会議員への出馬を取り消されたり、逮捕されたりしても周庭に涙はなかった。その涙は、2020年12月2日の法廷で流れた。
周庭=2016年1月3日(筆者提供)
民主活動家の周庭氏=2016年1月3日(筆者提供)
 昨年6月に香港政府の「逃亡犯条例」改正案に抗議する警察本部包囲デモを扇動したとして、無許可集会扇動罪などに問われた周庭は、香港の裁判所で禁錮10月を言い渡された。24歳の誕生日を前日に控えた日のことだった。
 「法廷での周庭は最初から肩で息をしているような状態で、付き添いの女性警察官に支えられていました。最後に量刑が言い渡されるとき、その場で周庭は崩れ落ちるように号泣していました」
 周庭の友人であり、裁判を傍聴した香港の日本人タレント、Rieの証言だ。厳しすぎる、初の実刑判決だった。裁判では黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と林朗彦(アイヴァン・ラム)にも、それぞれ禁錮13月半、同7月の判決が下った。
 法廷の外では親中派がシャンパンを抜いて大騒ぎしていた。だが、それよりもはるかに多くの香港市民たちが集まり、裁判所を後にする3人のバスに声をかけ、いつまでもその後を追っていた。
周庭の「号泣」は意外だった。厳しい判決に直面して心が折れてしまったのか。3人は昨年のデモに対する起訴内容を認めたが、その罪状自体が事実とかけ離れおり、有罪判決には政治的な意図が見え隠れしている。
 昨年6月21日、周庭の「違法行為」の現場に筆者は居合わせていた。会員制交流サイト(SNS)で呼びかけられた人々で警察本部前の道が埋め尽くされていた。数万人ほどにも見えるデモ隊は、口々に「黒警」や「狗警」と警察をののしっていた。さらには、近くの商店で買ったと思われる生卵も投げられていた。
 デモ隊は、騒乱罪の容疑で逮捕された学生たちの解放を要求していた。数時間前に刑務所から出てきたばかりの黄之鋒も合流した。深夜になり、黄之鋒はメガホン越しに「このまま占拠を続けますか? それとも今日は解散しますか?」などと、デモ隊に問いかけた。どちらかというと、解散を勧めていたという。
 狭い場所に大勢の人が集まっていたため、催涙弾を撃たれるとパニックで危険な状態に陥る恐れがあった。だが、黄之鋒の声に応える人はおらず、日付が変わってから匿名性が高いメッセージアプリ「テレグラム」で撤退が決まった。
 昨年のデモには明確なリーダーが存在せず、このテレグラムを通していろいろな判断が下された。2014年の雨傘運動であれば、現場でメガホンを握った黄之鋒の呼びかけに多くの参加者が従ったのだろうが、この日に集まった人々は動かなかった。彼らが凝視していたのはデモのリーダーではなく手元のスマホだった。
 そうした意味で6月21日の夜は、昨年のデモが今までとは性質がまったく異なるものであることを示している。周庭も、その場に居合わせたが目立った発言はなかったという。
 昨年の民主化運動の中では、周庭と黄之鋒は参加者の一人という立場でしかなかった。それでも周庭たちが逮捕されたのは、香港政府の北京へのポーズだといわれている。「中心なきデモ」で有効な対応がとれなかった警察は、誰かを首謀者として逮捕しないと、北京に対して顔が立たなかったのだ。
 「香港で社会運動をやっていると逮捕されるのは当たり前です。みんな恥だとは思っていません」
 19歳になったばかりの周庭は、筆者にそう語った。2017年には中国の国家主席、習近平の香港訪問を前にした抗議活動で、今年8月には香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕されている。今回、周庭ら3人が理不尽な起訴内容であっても、それを認めたのは弁護士のアドバイスによる法廷戦術だった。香港の裁判所では、民主化運動に携わった政治犯については、厳しい判決が続いていたのだ。
 「従来の香港の司法では罪を認めれば、執行猶予やボランティア活動で済んでいたはずなのです」(香港の民主派男性)
 それが禁錮10月の実刑判決なのである。周庭は感情が抑えられなかったのだろう。
11月23日、香港の裁判所に到着する周庭氏(AP=共同)
11月23日、香港の裁判所に到着する周庭氏(AP=共同)
 「それと同時に、今年の国安法違反での逮捕が頭をよぎったのではないでしょうか。国安法違反で有罪となると、大陸に送られて数年服役することさえありうるのです」(同)
現在の香港は司法の独立を喪失し、三権分立が損なわれつつある。周庭は判決の先にある「香港社会が完全に壊されてしまったこと」「大好きな香港を守れなかったこと」を感じ、涙したのではないか。
 香港民主派への弾圧は、かつてない規模で続いている。2020年12月11日には、民主派寄りの大手紙「蘋果(ひんか)日報(林檎日報、アップルデイリー)」創業者の黎智英(ジミー・ライ)が国安法違反で起訴された。
 「ツイッターで台湾の蔡英文総統などをフォローして国際社会に助けを求めるツイートをしたこと、亡命を図った12人の香港人の保護を呼びかけたこと、習近平の独裁を批判したことなどが理由ではないかとされています。ツイッターのフォローすら逮捕の要件になるのか、と香港では動揺が広がっています」(同)
 日本では「アベ政治を許さない」などの政権批判が、少し過激なものとして容認されているが、中国でこうしたことはあり得ない。しかし、香港は違った。6年前の雨傘運動では習近平の実物大の立て看板が並び、「我要真普選(真の普通選挙を求めます)」という民主派のスローガンをまとわせたものまであった。
 そうした行為も、今では国安法違反となってしまう。12月8日には、香港中文大学で11月に行われたデモに参加した8人が逮捕された。香港独立旗や「光復香港 時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」などのスローガンを掲げたのが逮捕容疑とされている。当たり前にあった表現の自由、政治活動の自由が失われた瞬間だった。
 「経済的報復」を受けたケースもある。今年11月、香港政府が立法会の民主派議員4人の資格を剥奪したことに対し、他の民主派議員15人が辞職して抗議した。集団辞職した一人、許智峯がデンマークで亡命の申請を発表すると、香港警察はマネーロンダリング(資金洗浄)の疑いがあるとして、許智峯の銀行口座を凍結するよう各行に要請したのだ。
 周庭、黎智英、許智峯らは著名人ということもあり、顔と名前を明かして活動をしていた。民主派議員はデモ隊と対峙(たいじ)する警察に説得を試みることも多かった。もはや、そうした合法的な活動さえも許されない。
 「許智峯の亡命がショックだったのは、銀行口座まで簡単に差し押さえられたからです。国際金融都市としての香港を守るつもりが政府にはないのです。香港市民は預金を外資系の銀行に移しはじめ、英国海外市民(BNO)旅券を申請しています」(同)
 BNO旅券とは、英国が旧植民地の市民向けに発行するパスポートで、香港では1997年の返還より前に生まれた人が取得できる。国安法の施行後、英政府がBNO旅券の保有者に市民権獲得への道を開いたことを受け、英国への移住を考える人々がBNO旅券を求めた。
 「私も海外移住を考えています。香港にはもう未来がない。子供たちは海外で育てたい。あなた(筆者)も香港に来ないほうがいい。あなたが知っている香港はもう死んだんです」(同)
2020年10月15日、香港の裁判所に入る黎智英氏(AP=共同)
2020年10月15日、香港の裁判所に入る黎智英氏(AP=共同)
 昨年6月以降、デモで逮捕された香港人は1万人以上だといわれている。その中で、海外渡航が制限されていない人たち香港を去っている。脱出先は台湾、米国、カナダ、ドイツなどだ。
 「もともと香港は、父や祖父の世代に、大陸の共産党の支配から逃れてきた人たちが作った街です。だから、私たち世代も逃げることには慣れているのです」(同)
自嘲気味にそう語る彼も、来年の香港脱出を具体的に考えているのだという。
 国際社会は香港を救えないのだろうか。実は米国で2012年に成立したマグニツキー法をモデルに、中国への制裁を働きかける動きがある。同法は人権侵害に関与した国家や団体、個人に対して資産凍結やビザ発給禁止を科すもので、欧州連合(EU)でも同様の制裁措置の導入が決まった。
 日本では、超党派議員による「対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)」が日本版マグニツキー法の実現を目指している。内容は米国などと同じものであるという。これは期待できるのか。
 「自民党議員の顔ぶれを見てください。自民党の中枢にモノを言える人たちではない。オリンピックと習近平の来日をあきらめていない政権に対して、もっと広く支持を集めないと、今のままでは議員立法は難しいと言われています」(国会担当記者)
 JPACは来年の国会での議案提出を目標としていくという。香港市民のために、現在よりも幅広い支持が必要となるだろう。
 香港の2021年はどうなるのだろうか。この問い対して、ある民主派支持の市民は、言葉を選びながら話してくれた。
 「もう分かりません。来年の裁判のニュースは、もっと暗い話ばかりではないかといわれています。楽天的な人が多い香港ですが、21年が明るいと考えている人はいません。皆、香港を愛せなくなりつつあります」(金融関係に勤める女性)
 香港は観光都市でもあった。しかし、昨年のデモ発生以降、観光業は低迷し、新型コロナウイルスの感染拡大がとどめを刺した感がある。ホテルは廃業されるか、香港入境者の14日間の隔離施設などになっている。国内線を持たない香港のキャセイパシフィック航空はコロナ禍で大打撃を受け、8500人の大規模リストラに追い込まれた。同社には、台湾で搭乗した乗客に「一つの中国」への同意を確認したという不穏な報道まである。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 観光客がいなくなった香港の街では、代名詞でもあった極彩色のネオン看板の撤去が進んでいる。
 「かつて香港が世界に誇っていた金融、教育、観光など、すべてが破壊されようとしています。気がついたら、自由がなくなり、大陸と同じ状態です。このまま服従の道を選ぶ香港人も多いでしょうね。私も表面上は、そうして生きていくでしょう。もう私は海外に行く気力がありません。でも、いまの香港では生き残るための服従を誰も非難できないのです」(同)。「牢獄」に入れられるよりは、自由が制限されるとはいえ「おりの中」のほうがましというわけか。
 周庭は禁錮10月の実刑ではあるが、休日などの日数が引かれ、8カ月ほどで戻れるとの見通しもある。だが、それで終わりだとは思えない。
「来年の報道は国安法違反の裁判一色でしょう。黎智英の例の通り、これまで問題視されなかったことで起訴されて重罰が下される。来年の香港は、恐怖政治の街なんです。国安法は条文よりも過酷な形で適用されています。私がこうして取材に応えることすら、危険なことです」(同)
 匿名であるが、彼女とのこうしたやりとりさえ、当局に察知される危険がある。
 「来年、周庭の国安法違反の裁判が行われるのではないでしょうか。中国批判をやめないであろう彼女を政府が許すとは思えません。周庭が伝えようとしたことを、日本の人たちは覚えておいてください。マグニツキー法もいいですが、みなさんで中国をボイコットしてください。そして、香港人が戦ったことを忘れないでください」(同)
 今回の取材で話を聞いていると、なんとも暗たんたる気分になってしまった。国安法に対して、香港市民は終わりの見えない撤退戦を続けている。反撃に転じることに希望を持てない戦いだ。

 

 24歳の誕生日である12月3日を刑務所で迎えた周庭からRieに手紙が届いたそうだ。
 「いま収監されている周庭から手紙が届きました。日本で親交があった人たちに『心配をかけてごめんなさい。つらいですががんばります!』という伝言がありました。彼女はいま環境に馴れようとがんばっているようです。新聞は林檎日報が読めるようですが、テレビはTVB(無線電視、香港政府寄りで民主派には不評な放送局)しか見られないそうです。いまはコロナ対策で14日間の隔離中だそうで、昼間の作業などもないとか。22時の消灯ですが、やることがないので21時には寝てしまうそうです」
 面会や手紙の回数が大きく制限される中、日本とのつながりに周庭はいちるの希望を託しているのだろうか。書けることも限られている中で、筆者は周庭からの力強いメッセージだと受け取った。彼女は法廷での涙を糧にして、いまはじっと耐えている状態なのだろう。
 周庭の手紙の話をすると、若い在日香港人がこう語った。
 「昨年の周庭はリーダーでもなくただの参加者、それなのに逮捕された。本当に気の毒だ」
 これまでの周庭の働きを否定するような言葉に聞こえて、少しむっとしたのだが、彼の真意は別のところにあった。
 「昨年のデモ以降、一人一人がこれからどう動くのか考えるようになりました。雨傘のときのようなリーダーは必要ない。みんながリーダーだと自覚しています。周庭は目立つ存在として逮捕されてしまいましたが、その間、私たち一人一人が新しい方法を考えるのです。彼女の働きに対して報いるため、できる限りのことをやるのです」
「香港独立」の旗を掲げてデモをする香港の若者たち=2020年1月1日(藤本欣也撮影)
「香港独立」の旗を掲げてデモをする香港の若者たち=2020年1月1日(藤本欣也撮影)
 雨傘運動から昨年のデモと香港人は、常に戦い方を変えてきた。沈黙の先に、新たな戦いを模索し、香港人は立ち上がることをあきらめていない。(文中敬称略)
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