安倍政権最大の功績は“アイヌ博物館”だった? 200億円をブチ込んだ「ウポポイ」の虚実
──本当にあれでいいんだろうか?
文=安田峰俊
撮影=安田峰俊
より引用
帰路、雨の道央道をレンタカーでひた走りながら、そんな思いが消えなかった。この日、私が行ったのは、今年7月12日に開業したばかりのウポポイ(民族共生象徴空間)である。
ウポポイとはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味する。北海道白老町のポロト湖畔に新設された国立アイヌ民族博物館を核とする「アイヌ文化の復興・発展の拠点」だ。
盛大にオープンした北海道の“目玉施設”
盛んにテレビCMが流れているので、名前くらいは聞いたことがある人も多いだろう。新型コロナ流行の影響で、4月のオープンが7月にズレ込んだものの、今年の北海道にとっては最大の話題のひとつである。
私は中華圏が専門のライターであり、アイヌの知識は通り一遍の範囲にとどまる。ただ、仕事柄、ウイグルやチベットといった中国の少数民族問題に直面することは多い。学生時代の専門分野の関係もあって、先住民や少数民族への興味関心は高いほうだ。
ウポポイの公式YouTubeチャンネルが配信するCM。テレビCMでも使われている。
ゆえに私はウポポイを見学したかった。そこで現地に行った……のだが、その感想が大変モヤモヤしたものだったのである。
違和感の正体は追って述べたい。まずはウポポイという施設について、ざっくりと観覧レポートを書いておこう。
博物館の入場はネットで「予約×2回」
ウポポイは札幌市から自動車で片道約65分の日帰り圏内にある。現在、コロナ流行の影響もあって入場は事前予約が必須で、1200円のチケットを購入してから全体入場ゲートをくぐる。感染予防の観点からネット予約のみに切り替えたのは英断だろう。
ただし、敷地内にある国立アイヌ民族博物館でも、上記とは別途にネットで事前予約を取る必要があるのは大変ややこしい(入場自体は無料)。博物館は1時間に200人までの入場制限があり、入場者枠が学校遠足や修学旅行生でほぼ埋まってしまうことも珍しくないので注意が必要だ。
博物館の建物2階がメインの展示室だ。広いホール内はアイヌの言語(イタㇰ)・世界観(イノミ)・生活(ウレㇱパ)・歴史(ウパㇱクマ)・仕事(ネㇷ゚キ)・交流(ウコアㇷ゚カㇱ)の6パートに分かれている。各パートの日本語は「私たちのことば」「私たちの世界」と、アイヌを主語にした書き方になっている。
もっとも、巨大な建物と垢抜けたインテリアの割に、全体的に展示物も展示説明もややボリューム不足な印象だ。隣の特別展示室を含めても、情報量はそれほど多くない。
“消滅危機言語”の書き言葉であふれる
アイヌ語は極めて深刻な消滅危機に直面している言語だ。明治以来の同化政策や和人(大和民族)の北海道開拓の結果、いまやアイヌ語を母語とする人はほとんどいない。
ウポポイはこのアイヌ語を、将来的には施設内での共通語にするという画期的な目標を掲げ、従業員たちは和人系・アイヌ系を問わずアイヌ語の名札を付けている。トイレなどの施設や博物館内の一部の解説文も、アイヌ語の下に日本語を併記する形を取る。
アイヌ語には沙流・静内・樺太・白老など12の方言があるため、博物館内では展示パートごとに別の方言が使い分けられるという複雑な方法が採用されている。これだけ各地のアイヌ語の書き言葉が溢れている場所は日本でもここだけだろう。
とはいえ、園内マップのパンフレット、ショップの商品説明やメニュー、博物館内の一部の展示解説など、日本語のみの場所も多い。現時点では、実用よりも一種の装飾や象徴としてアイヌ語表記がおこなわれているとみてよさそうだ。
コンセント付きのアイヌ家屋
博物館外には、巨大な体験交流ホールや体験学習館、屋外ステージなどがある。ほかに工房では工芸家による実演を見ることができ、さらにアイヌの伝統的な集落「コタン」を再現したアイヌ家屋「チセ」が何軒かある。
もっとも、ウポポイのチセは実際は現代的な建築技術で作った壁にアシが貼られており、屋内には普通にコンセントの差し口がある(札幌市郊外にあるアイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」で復元されたチセのほうが、実物に近い姿だと思われる)。
工房の実演も、作務衣のような服を着た(少なくとも外見上は普通の)公務員顔のお兄さんが、中学校の技術家庭科室のような部屋で淡々と解説や作業をおこなう様子を見学するだけなので、見ていてあまり面白くない。
オープン当初なので仕方ない部分もあるが、現時点のウポポイは各方面になんとなく上滑り感があり、「ハコ」に対して内実が伴いきれていない印象を感じさせた。
再訪させるほどの魅力は……
もちろん、個人的には学びも非常に多かった。私はメディアの立場で訪問したので、地元出身のアイヌの女性学芸員の方に展示室を案内してもらえたからだ。家族や生い立ちの話まで聞かせてもらい(なんと展示コーナーの20世紀初頭の写真にご先祖様が写っている)、アイヌ語やアイヌ史の質問にも丁寧に対応してもらえたので、ご厚意にとても感謝している。
ただ、アイヌの学芸員からマンツーマンでレクチャーしてもらえるわけではない一般の観覧客が、同様の魅力を感じられるかは疑問だった。上野公園の博物館・美術館群や大阪の国立民族学博物館などと比較すると、現時点でのウポポイは一度だけの見学ならよくても、リピーターになって来ようと思えるほどの魅力はない気がする──。
とまあ、以上が参観の感想だ。ちょっと厳しく書いたが、ここまではあくまでも施設のクオリティに対する建設的批判である。たとえ「見せ方」が拙かったとしても、先住民族であるアイヌをテーマにした初の国立施設が作られたことが持つ大きな意義は、本来なら決して揺るがないはずだ。
私が覚えたモヤモヤした感覚は、これらとは別の部分にこそあった。
「いまの時代」の日本でなぜアイヌ施設が?
近年、アイヌは「在日コリアン」や「沖縄」などと並んで、いわゆる「愛国者」的なマインドを持つ識者やネットユーザーたちから攻撃されやすいテーマのひとつになっている。
アイヌが北海道や東北地方の先住民で、その民族的なアイデンティティを持つ人たちが現在も存在することは、学問的にも明らかな話であり議論の余地がない。だが、おそらくこの記事についても、「Yahoo!ニュース」あたりに転載された後は、コメント欄に「アイヌは存在しない」「捏造だ」といった演説をぶつ人が何人も登場するだろう。2014年には当時の札幌市議がそうした意見を明言した例もある。
彼らのように露骨な言葉を口にしないまでも、「日本は単一民族国家だ」という認識に違和感を持たない程度にはアイヌの存在を気にせず暮らしている人は、むしろ現代の日本社会の多数派を占めているかと思われる。
加えて昨今は、日本の素晴らしさを強調することや日本国民の一体感を確認することが好まれる時代だ。日本に和風文化とは異なる伝統を持つ民族が存在することや、往年の日本が近代化の過程で「犠牲者も出した」ことを積極的に認めるような歴史観は、ともすれば自国をおとしめる反日的な言説として批判の対象になる。
そんなご時世に、近代日本が同化政策を進めた先住民であるアイヌの存在に肯定的なメッセージを示す「民族共生象徴空間」が、政府主導で建設されたのはかなり意外だ。
さらに驚かされるのは、ウポポイがなんと(リベラル寄りの民主党政権の遺産ではなく)ほぼ完全に安倍政権の手で作られたことだ。正直、国内のマイノリティに対して興味が薄そうなイメージがあった前政権が、アイヌ分野でこれだけ目に見える「業績」を残したのは珍事とさえ言っていい。
旗振り役は菅義偉現総理だった
日本のアイヌ政策が大きく転換した契機は、2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたことだ。そこで翌年6月、国内でも福田康夫政権下の衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択される。
そして、この決議をもとに「民族共生の象徴となる空間」を北海道白老町に建設することが閣議決定されたのは、第二次安倍政権成立後の2014年6月だった。当然、その後のさまざまな決定もすべて安倍政権下で進められた。
2019年4月にはアイヌを先住民族として明確に定義づけた「アイヌ新法」(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)も成立する。一連の政策の旗振り役は、安倍政権下で官房長官を務めていた菅義偉現総理だった。
建設費200億円、補正予算案で追加38億円……
では、ウポポイ建設に政府側から携わった人たちは、この施設にいかなる役割を期待していたのか。菅氏は2013年夏、自身が座長を務める政府のアイヌ政策推進会議でこう発言している。
「オリンピック・パラリンピックの前にウポポイを完成させることで、アイヌ文化の素晴らしさを世界に発信することができる」
より具体的なのは、同会議の委員を務める石森秀三・北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授の発言だ。2019年8月9日付け『観光経済新聞』から引用しよう。
「インバウンドの隆盛化に伴って、世界から数多くの外国人ビジターの来訪が予想される。ウポポイにおいて、アイヌ文化の復興・創造が飛躍的に進展し、世界のさまざまなビジターが楽しく“歓交”できるならば北海道観光は新たなステージに入ることになる。そのためには、民産官学の協働によるウポポイの盛り立てが不可欠になる」
つまり主たる目的として強調されたのは、東京五輪にともなう日本経済の活性化とインバウンド誘致だったのだ。
ゆえに、総建設費には約200億円の税金が投入された。さらに2019年末の閣議で決定した同年度補正予算案では、ウポポイのPR費用などとして38億1600万円が確保され、年間来場者数100万人を目指す方針がぶち上げられた(その後のコロナ禍によって目標達成は難しい状況だ)。
このように「マシマシ」で多額の税金がブチ込まれるいっぽう、ウポポイの建設方針が軌道に乗るや、本来は政府のアイヌ政策にアイヌ自身の意見を反映させる場だったアイヌ政策推進会議は2018年12月を最後に開催されなくなった。そして、完成したウポポイからは、インバウンド誘致と経済活性化という目的にそぐわない要素が削ぎ落とされることになる。
「アイヌ差別」は表に出すな
「国立アイヌ民族博物館の展示方針については『差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないでほしい』という要望が、展示検討委員会から出されていた」
私が取材した博物館関係者はこう話す。この展示検討委員会とは、文化庁が2015年7月に設置した有識者委員会だ。「第三者」を集めたとはいえ、実質的には政府や文化庁の意を体した機関とみていい。
事実、ウポポイ敷地内のアイヌ民族博物館の展示からは、ある内容がごっそりと抜け落ちている。それは明治時代以降に近代日本が進めたアイヌ同化政策と、長年にわたり官民問わず存在したアイヌ差別についての明確な言及だ。
たとえば、1899年(明治32年)に制定され、結果的にアイヌの和人への同化を後押しした「北海道旧土人保護法」や、アイヌ児童向けに設けられた「旧土人学校」などについては、私が見た範囲では言及が非常に薄い。
「旧土人」という呼称は、戦時中の1942年に当時の東条英機内閣が「一種ノ侮蔑感ヲ聯想」すると改善を閣議決定したほど、ごく早期から問題視されていたのだが(ただし旧土人保護法は1997年まで残る)、ウポポイではあまり語られない歴史になってしまった。
インバウンド外国人客には隠される情報
また、戦前に北海道大学医学部の教授が勝手にアイヌの墓を掘り返して1000体以上の遺骨を収集した行為への言及もわずかしかない(慰霊碑はウポポイの一施設として、博物館から1.2キロ離れた場所に存在するが、遠足などでプログラムに組み込まれない限り、わざわざ行く個人旅行者は少ないだろう)。
1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会で、沖縄の琉球人や北海道のアイヌが生身の見世物として「展示」された人類館事件も、近代アイヌ史では重要な事件だったはずだが、詳しい言及はなされていない(展示内容では「博覧会に出た」ことだけが書かれている)。
当然、現在でも一部の地域では厳然と存在する結婚や就職の際のアイヌ差別も言及されない。アイヌ語の話者がほとんどいなくなった理由も明確に説明されていない。
より正確に言うなら、館内展示物である昭和期のアイヌ知識人が発行した新聞や雑誌をガラスごしによく読めば、差別や迫害の存在を知ることはできる。また、博物館の館長挨拶でも言及されている。ただ、これらはかなり注意深い人以外は気づかないはずだ。
バイリンガル表記がなされた館長挨拶をのぞけば、ウポポイを訪問した日本語を母語としない人が、歴史の負の面についての情報を得ることは容易ではない展示内容になっている。
歴史の勝者は目をそらすことを選んだ
仮に予備知識がない人が展示を見た場合、アイヌは前近代まで立派な文化を残していたが、近代以降は原因不明の理由で自然減少した民族である──、という奇妙な認識を持ってしまいそうだ。
ピンとこない人は、白人の土地侵略や差別に言及しないインディアンやアボリジニの博物館や、中国共産党の経済侵略と文化弾圧に言及しないウイグル人やチベット人の博物館をイメージしてほしい。ウポポイにおけるアイヌの歴史は、まさにそういうグロテスクな語られ方がなされている。
どこの国でも、強力な近代国民国家が成立する過程では辺境の征服と同化がおこなわれ、征服者から見て「野蛮」とされた先住民が不利益を被る負の歴史が生まれる。日本に限らず、列強や主要国と呼ばれる国家は等しく血塗られた過去を持ち、ゆえに強くて豊かな国として発展してきた。
なので、先進国が過去の自国内における征服の歴史を認めて向き合うことは、国際的に見れば国家の恥にはなりにくい(他国も似たようなものであり、近年はむしろ積極的に向き合ったほうが評価されるくらいだ)。
これは歴史の勝者の子孫が、被征服者に対して最低限抱くべき仁義だろうとも思えるのだが、ウポポイの建設を決めた人たちは、そこから目をそらすことを選んだようである。
アイヌ民族博物館の展示のブースのタイトルは「私たちの歴史(ウパㇱクマ)」だ。とはいえ、アイヌ自身が、自分たちが滅びた本当の理由を和人のために隠蔽してあげようと考えるわけはあるまい。
私がウポポイから覚えたモヤモヤ感の正体は、まさにこれなのであった。
最後に中国の話をしよう
さて、私の本業は中国ライターなので、最後に中国の話を書く。中国広東省の深圳市には、1988年に建設された「錦繍中華民俗文化村」という、中国国内のさまざまな少数民族の文化を体験できるテーマパークがある。
この民俗文化村では、中国共産党政府の少数民族に対する言語・文化・宗教の弾圧と同化政策、言論統制と監視社会化、経済侵略政策といった諸問題への言及は一切なされない。施設内では、もっぱら観光客のオリエンタリズムを満足させる目的で、歌や踊りのショーが魅惑のアトラクションとして開催されている。
観客はこうした少数民族たちの見世物を見て、雑な考証のもとで適当に再現された伝統家屋をバックにした自撮り画像をSNSに投稿し、偉大なる中華人民共和国の諸民族の友好と団結を再確認する。これが中国式のマイノリティの取り扱い方である。
──もちろん、わが日本には、そのような施設はたぶん存在しないはずであろう。