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真🌸保守速報!「奇跡の人生」を終えた李登輝元総統:愛国女性のつどい花時計

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台湾の元総統、李登輝先生が7月30日、御逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。

 

 中国共産党が日本のメディアに圧力をかけているせいか、李登輝元総統の事を誤解している日本人もあるかと思うので、私なりに李登輝先生の事を書いてみたいと思います。もし激動の時代に生まれなければ李登輝さんは学者として穏やかな人生を送られたか、あるいは宣教師になっていたかも知れません。私たちがイメージする政治家、という感じの方ではありません。お目にかかると哲学者のような風貌で、政治の話などしたことがありません。人生について、日本について、世界について、ご自分の思うことを率直に語って下さいました。

 日本統治下の台湾で李登輝さんは1923年に生まれました。お兄様はマニラで戦死なさって、靖国神社に祀られています。李登輝さんも学徒出陣で出征していますが、やがて終戦になり、台湾へ戻ります。台湾は蒋介石率いる中国国民党がなし崩し的に占領し、李登輝さんは22歳で日本人から突然、中華民国国民になりました。ここからが苦難の人生の始まりでした。

中国国民党政権は日本を否定し、日本統治時代のエリートたちを弾圧し、多くの人が海外へ亡命しました。今の台湾からは想像もできませんが、台湾には世界でもっとも長い、30年以上も戒厳令が敷かれていました。言論の自由もなく、政府を批判する自由もありませんでした。日本語と台湾語を話すことは禁止され、北京語ができないと仕事に就くこともできないという時代が長く続きました。

 李登輝さんはアメリカで博士号を取り、台湾大学の教授になります。しかし学者の道を進みながらも中国国民党に入党します。この決断が台湾を民主化に導く政治家としての李登輝さんを生み出しました。蒋介石の息子の蒋経国のもとで政治家としてのキャリアを積み、台北市長になります。

 蒋経国が突然、急死したことによって副総統になってまだ四年目の李登輝さんは総統になります。台湾生まれの初めての総統でした。この時はまだ台湾は普通選挙が行えない状態でした。しかし李登輝さんは

中国国民党の長老たちを説得し、普通選挙の実現にこぎつけ、選挙に立候補して堂々と、改めて総統の座に就きました。

 李登輝さんは「親日家」として有名ですが、親日家という表現では不十分です。「愛日家」と言った方が良いと思います。日本を愛し、日本語を愛し、日本の俳句や文学を愛していらっしゃいました。岩波書店から本を取り寄せて読んでいらっしゃいました。日本語での執筆、講演などご高齢になっても旺盛な活動をなさっていました。そのエネルギーの根源は少年時代に受けた日本の教育だったと思います。

 台湾を訪れる日本の各界の人達と頻繁に会っては、日本人を励ますメッセージを送っていらっしゃいました。本来なら中国共産党の脅威にさらされている台湾を日本が支える立場のはずなのに、逆でした。これからは李登輝さんの御遺志を引き継いで、日本の政治家が中国共産党の脅威と戦わなければなりません。

 李登輝さんは激動の時代が生み出したアジアの哲人政治家でした。

 

 

 

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Source: 愛国女性のつどい花時計

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