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5.06 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」権威主義と民主主義

株式会社経世論研究所 講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから 三橋貴明のツイッター はこちら人気ブログランキング に参加しています。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ チャンネルAJER  更新しました。 『言語と民主主義①』三橋貴明 AJER2018.4.24https://youtu.be/7l3zThwiv-k ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 権威主義とは、特定の「権威」に個人や社会を服従させる体制であり、国家権力主義ともいいます。 わかりやすく書くと、独裁制あるいは専制性で、梅棹忠雄の「文明の生態史観」における、第一地域(ユーラシアの両端である日本、西欧)を除く地域(ほとんど全てですね)は、歴史的、伝統的に「権威主義」でございました。 文明の生態史観で「第二地域」に分類された中華帝国、インド帝国、ロシア帝国、イスラム帝国、そして各帝国の属国、衛星国は、封建制度が発達しませんでした。結果的に、「合議」により政治を進めることもなく、専制的な皇帝制のの下で歴史を紡いできました。つまりは「伝統的権威主義国」です。 わたくしは、第二地域の権威主義の起源は、ユーラシアステップの遊牧民の「族長制」にあると考えていますが、まあ、このあたりの話はおいおい。 1992年に刊行となったフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」では、国際社会において、民主主義と自由経済が最終的に勝利し社会の平和と自由と安定を無期限に続くとされていました。 つまりは、民主主義や自由主義経済について「普遍的な善」であるとされていたわけです。 「文明の生態史観」を理解すると、「歴史の終わり」は相当に無茶があることがわかります。歴史的、伝統的に「民主主義」を受け入れることが可能なのは、封建制度を経験した日本、西欧、そしてその延長線上のアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、限られた国々のみなのです。 フクヤマは1991年末にソ連が崩壊したことを受け、「歴史の終わり」という仮説に自信を持ったことでしょう。とはいえ、ソ連の崩壊は歴史的には、社会主義の敗北ではなく、「ソ連」という権威主義国から「ロシア共和国」という権威主義国への、一種の易姓革命としてとらえるべきだと思います。 旧:第二地域において民主主義を強引に普及させようとすると、どうなるのか。イラク戦争の後始末、あるいは「アラブの春」の顛末を見れば、誰でも、「民主主義とは必ずしも普遍的な善ではない」 という事実がわかるはずです。 『ロシアで反政権デモ1000人超拘束 プーチン大統領4期目続きをみる

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Source: 三橋貴明氏ブログ

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