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12月8日真珠湾攻撃の日にあたり、開戦の真実を考えよう

北海道 心はひとつ 私の心 みんなの心   チャンネル桜北海道は、正直で元気な北海道情報をまるごとお送りしています!
キャスター:
小野寺まさる(元北海道議会議員)       
本間奈々(キャスター)
■今日の北海道  より物騒化する銃器!未だ無くならない暴力団の抗争  とんでもない主張!アイヌ研究で権利が学術的成果より優先?!
■特集 12月8日真珠湾攻撃の日にあたり、開戦の真実を考えよう
◇チャンネル桜北海道「忘年会」のお知らせ
◇ ◇と き:12月14日(土) 18:00時~
◇ところ:彌彦神社(札幌市中央区中島公園1-8)
◇会費:3,000円 ※要予約
◆チャンネル桜北海道公式HP http://ch-hokkaido.jp/

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いのうえ京子

寿都町議長、踏み留まって頂きたいし、町民の方々も議長を支えてあげて!と思います。

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特務二等兵

日本のヤクザのみなさん、内ゲバやってないで悪いシナ人を追っ払ってくださいよ。

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mogurazz

何となく変なというか?可笑しな人が来ていますね?妄想の陰謀論?777?ご注意あれ。

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日本のスイカ

福岡では中学生が銃を学校に持ち込んで、先生がその銃を取り上げ学校でぶっ放しました。嘘見たいな実話です( ̄^ ̄)。

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いのうえ京子

奈々さん、ロケットランチャーって…本当に日本のニュースなんだろうか?と驚きですね(^_^;)  ハワイがアメリカに侵略される経緯が…アメリカらしい💢 歴史の見方は一つではない。小野寺さんに賛同します。

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遠山金四郎

コメント欄をお借りします。【メール送信のお願い】 韓国がまたしても「旭日旗は軍国主義の象徴だ」と騒ぎ出しました。軍国主義の象徴ではない!ということを、国内外に向けて発信するよう政府に求める案文です。賛同いただける方は、政府にメールの送信をお願いします。詳細は掲示板「23時メール」送信元文・ナンバー38を御確認下さい。➡https://yomoyama-bbs.jp/296/663

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スゲちゃん-

アイヌは、先住民族ではないよ。 国民の皆さん、騙されないようにして下さい。 ボンクラ政治家によって、自民党政党縛りを掛けた売国奴は誰だ。菅官房長官なのか? それとも、安倍総理なのか? 勉強をしてくれよ! 作られた歴史は、容認できない。

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jimmy haward

孝明帝や博文公など最後のときは一兵卒として戦うと、日露戦争までの日本の為政者は、日本が他国から狙われていると認識されていました。日米開戦までの政府高官等は傲り、米国に狙われていることを認識していなかったのでは。現在の政治家・官僚も日本が狙われていることを認識できない亡国の徒ではないかと危惧致します。

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alfa a

山本、米内、永野、海軍のこのスパイ達が、西進するはずだった大東亜戦争を、対米戦に変えてしまいました。ずっと前から疑問に思っていましたし、架空戦記物はほとんど日本が西進してスエズ運河でナチスと合流するものになっているのですが、秋丸機関の構想はまさにその通りだったようで、まともにやっていれば、イギリスには勝利して、アメリカは世論のせいで参戦できなかったでしょう。最近桜にご出演の多い林千勝さんの考証は本当にあの戦争の真実を暴き出してくれていると思います。

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小川双葉

今日は。 何度もコメントを削除されてしまいます.....。 YouTube管理者は、何がご不満なんでしょう??? 12月8日と言うタイトルなので、普段より神経質になっているのでしょうか? 12月8日。 北海道出身の小説家、伊藤整氏の日記が頭に浮かびます。 欧米諸国や中国の蛮行に、我慢に我慢を重ねて来た先人たちの総意。  欧米諸国の世界覇権終焉の日。

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林千勝さんも含め戦争関係の話では、全員が昭和天皇の戦時中の言動を必死で隠しているのは何故か? 東京裁判で天皇の戦争責任を暴いた東条英機の証言について何故誰も触れないのか? 東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。これは当時としては真実である。 しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。 それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。 キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。 みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。 ______ 1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。 彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は 限度を越えていた。 中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた 1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人 ログマンはこう質問した。 「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、 あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」  東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。 のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。 ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。 裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、 よく理解できるはずである。  まさしく、それは誰もが知っていたことだった。そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。 だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で 天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の 側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。 東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。 彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。木戸はまた、 刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。 二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。 彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。 http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm ▲△▽▼ 日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた  https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes

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林千勝さんも含め戦争関係の話では、全員が昭和天皇の戦時中の言動を必死で隠しているのは何故か? 天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は? 天皇の陰謀   天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた ディビット・バーガミニ著     松崎元 https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928~1983)は、アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。バーガミニを抹殺するために、200~500万ドルの賄賂・監視料が使われた。日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。 バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。 どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。 二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか? 川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。 今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。木戸幸一(きど・こういち、1889~1977年。長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。 396年計画 1549.8.15-1945.8.15 こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。 日本を訪問したザビエルは、「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。 イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、西南戦争で抹殺された。孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、イルミナティの宮中浸透は完成していた。大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。 明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、簡単には染まらなかった。西郷を殺すことにも本心では反対していた。それで死後に西郷の名誉回復もしている。日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。 大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、西園寺は自分が仕えた4代(孝明~昭和)の中で最も知性に優れていたと語っている。大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として日本を改造したかった。議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。その天皇の考えに山県有朋は衝突した。 裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」として利用されたのが二・二六事件だった。 イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。 中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だとして刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた(1937年の盧溝橋事件)。こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。 太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。 裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。 「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」 皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。

 

 

 

 

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