スポンサーリンク

データはありません

「三橋貴明ブログ」 日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム(前編)

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

『国土経済論(後編)①』三橋貴明 AJER2018.2.27https://youtu.be/d1Wb6lbcE4I

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆> ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

本日は彩図社「日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム」の発売日です。

 

わたくしは今、インドネシアのジャカルタにいます。

 

つまりは、ジャワ島です。 ジャワ島から二千キロほど東に、

 

バンダ諸島、マルク諸島、ティモール島などがあります。すなわち、香料諸島です。

 

かつて、香辛料の中でもニクヅク(ナツメグ、メース)と丁子(クローブ)は、

 

現インドネシアのモルッカ諸島(現マルク諸島)やバンダ諸島でしか手に入りませんでした。

 

当初、スパイスロード(香料の道)、中国商人やイスラム商人が香料諸島の香料交易で栄えていました。

 

イスラム商人はレヴァント(現シリア)やコンスタンチノープル(現イスタンブール)、

 

あるいは紅海を経てアレクサンドリア(エジプト)までスパイスを運びます。

 

さらに、中東から欧州には、ヴェネチアやジェノバのイタリア商人たちが海の道をたどり、

 

欧州へとスパイスを海運しました。 オスマン帝国が勃興すると、

 

スパイスが欧州に入り難くなります。とある事情から、

 

欧州におけるスパイスの「需要」は膨張する一方でした。

 

というわけで、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰ルートでインドにたどり着きます。

 

ガマのインド到達(及びコロンブスの西インド諸島漂着)こそが、

 

現代に至る「グローバリズム」の始まりとなりました。

 

ガマのインド到達以降、ポルトガル人は東南アジアのマラッカ

 

(現マレーシアのムラカ)などに拠点を築き、香料諸島で香辛料を買い付け、

 

欧州で売却していきます。

 

「神はティモールを白檀のために、バンダをナツメグのために、

 

そしてモルッカ諸島をチョウジのために造り給うた(ポルトガル人のトメ=ピレス)」

 

さらに、ポルトガル人は中国のマカオの使用権を獲得。

 

マニラにも拠点を開き、交易先を求めて北へ、北へと進んでいきます。

 

1543年(1542年説もあり)に、

 

ポルトガル人が種子島に漂着し、我が国に鉄砲が伝来したのは、そういう事情なのです。

 

もっとも、香料諸島におけるポルトガルの優位は、瞬く間に覆されることになりました。

 

ポルトガルから香料諸島の権益を奪ったのはオランダでした。

 

オランダは1619年にジャワ島のジャカルタに要塞を建設。

 

オランダは自国の先住民バタウィにちなみ、ジャカルタをバタヴィアと改称します。

 

その後、ジャカルタはオランダ東インド会社の基地として、

 

後にはオランダ領東インド(現インドネシア)の中心都市として発展していくことになりました。

 

インドネシアはオランダの「植民地」になりましたが、

 

パキスタンからインド、バングラディッシュ、ミャンマー、マレーシア、

 

シンガポールはイギリス領、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス領、

 

フィリピンはアメリカ領となります。 本書で解説していますが、

 

帝国主義とは「グローバリズム」です。 アジアを支配した欧州諸国は、

 

各地域で「貿易収支」「所得収支」の形で、所得を吸い上げていきます。

 

所得を吸われ、貧困化するアジアの"住民"達には、法的に抵抗する術がありませんでした。

 

理由は、アジアの住民には「主権」がなかったためです。

 

帝国主義とは、相手国の住民から主権を奪い、

 

あるいは主権を与えず、所得を継続的に吸収する仕組みを構築することを意

 

続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

Source: 三橋貴明氏ブログ

スポンサーリンク




ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

2,402人の購読者に加わりましょう

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事