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昨日はチャンネル桜「Front Japan 桜」に出演しました。
1/2【Front Japan 桜】壊れた社会、壊れた国家 / 中国に呑み込まれる世界 ~太平洋編~
[桜R1/9/23]2/2【Front Japan 桜・映画】ハリウッド1の親日家~映画『ジョン・ウィック:パラベラム』[桜R1/9/23]
改めて、国民経済の五原則。
◆国民経済において、最も重要なのは「需要を満たす供給能力」である。
◆国民経済において、お金は使っても消えない。誰かの支出は、誰かの所得である。
◆国民経済において、誰かの金融資産は必ず誰かの金融負債である。
◆国民経済において、誰かの黒字は必ず誰かの赤字である。
◆現代世界において、国家が発行する貨幣の裏づけは「供給能力」である。
本日は。「国民経済において、お金は使っても消えない。誰かの支出は、誰かの所得である。」 のお話。
今でこそ、「んなの、当たり前だろ、今更、何言ってんだ、三橋は」 と。思われる方が増えてきましたが、12年前はほぼ理解者が皆無。
そもそも、この手↑の説明、解説をする人が、ほとんどわたくし以外にはいないという惨状でした。
しかも、日本国民は完全に「マクロ」で考える能力を失い(元々、持っていなかったのかも知れませんが)、
全てを「自分」の世界でしか考えられない状況。 モノやサービスを買えば、おカネは消える。
「そりゃ、アンタの手元からカネは消えるけど、おカネは売り手に移っており、所得になっている」 と、何度、説明しても、理解してもらえませんでした。
つまりは、思考の枠組みが「自分」というミクロに限定されており、社会、国民、経済(経世済民)、
安全保障といった「マクロ」で考えることが不可能だったのでしょう。 とはいえ、政治とは常にマクロです。
政治とは「国家」がいかなる行政(あるいは「行政サービス」)を生産するかであり、個人の話ではありません。
さらには、政治とは予算というよりは「リソース(ケルトン教授式に言えば)配分」の問題であり、
全員が平等に公正に恩恵を受ける政策は存在し得ません。日本の場合は、財政的な予算制約はありませんが、供給能力、リソースの制限があります。
制限がある以上、供給能力は「特定の国民」にのみ使われます。もっとも、国民経済は繋がっており、
「誰かの支出が、誰かの所得」であるため、政府の「不公平な行政サービスの生産」により、
所得拡大や安全保障強化、市場拡大といった恩恵は、最終的には全国民に行き渡るのかも知れません。
もちろん、行き渡らないかも知れません。 それを、「できる限り至るように」主張し、
国会で予算化し、行政を動かすことができる人物が、本物の「政治家」なのでしょう。
さて、ミクロとマクロの違いですが、重大な問題は「ミクロの合理的な行為が、合成されるとマクロで災厄をもたらす」ケースが少なくないことです。
すなわち、合成の誤謬です。 【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
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三橋貴明、長浜浩明先生、高家望愛さんも同行します) 田村秀男先生が、「日経新聞は耐乏生活の勧めか、
あほらしい。経済を担う世代にこれ以上消費を削減させておいて、どうするつもりなのか。いやしくも経済新聞を名乗るなら経済成長を考えたらどうかね」 続きをみる
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Source: 三橋貴明氏ブログ