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「哀悼 西部邁先生。」週刊西田昌司一問一答

 

いざ、かまくら。 711
寂しいけれど我は嘆かじ
Saw See
西部邁先生がずっとこの日本を憂いて、悲しんでいた。西田さん、私は西部邁先生程のスケールと考えには遠く及ばないが、今の政治家を見続ける限り、少なからず似たような気持ちになっている。先ずは、政治家が襟を正し、報酬と待遇の見直しから始めよ。そこから、真に国のために、国民のために成果を上げ、働いた者に限って特別の報酬を渡す方が良い。西部さんの広い意味の一片が現政治家の堕落である。国外問題も重要だが、同じく国内の不正、腐敗はもっと根深く問題じゃないか?国民の多くは、今の政治家や官僚達が、現在得ている報酬と待遇が適切で、必要不可欠だとは到底思えず、国民よりも我先に自分たちの懐を潤すその姿勢とずる賢さに程々嫌気をさしている。日本の政治家に尊敬や、感謝などと言う気持ちを抱くものが何人いると思うのか?政治家の諸君、襟を正し、国の隅々まで直視せよ。君らが来ている高級な背広、会議と称して贅沢を続ける場所と金額、全てが適正だと思えるのか?国民よりも良い生活を続けている政治家諸君、恥ずかしくないか?

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YamaguchiToshihiro 山口俊廣
西部先生の死は、西部先生だけの問題ではありません。 追記。 西田先生のお話で「書物やYouTubeで残されたものがたくさんある」云々とありましたが、書物はいざ知らず、YouTube運営会社には申し訳ないけれど、デジタル媒体に人間の魂など宿りはしない。デジタルは単にモノだ。その点が非常に違和感を覚えました。

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scherzoso 53
西田様、有難うございました。深く感謝します。 西部先生の訃報から二日が経ち、未だ信じがたい思いは拭えませんが、西部先生から直接の薫陶を受けられた西田議員から、こうして今、直に先生の自死に対する真情を聞けたことにより、西部先生の死の現実を受け止め、心に大きな穴が開いたような何とも名状し難い虚脱感から幾ばくか救われる気がしました。 私も今、西田議員のお話を伺いながら、西部先生の死についてはまったく同様な思いを抱いていることに気づかされました。西部先生は人生の最後の死においても、やはり西部先生ご自身であったと思わずにはいられません。西部先生は最後まで自身の思想を貫き、生き切ったのであり、西部先生の思想は西部先生の人生そのもの、生きることそのものの表現であったことを今あらためて思わずにはいられません。

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