タイトル戦の食事は華やかだ。開催場所の料理人や地域の人々が腕を振るって棋士をもてなし、

棋士の対局を裏から支える重要な役割があるからだ。他の対局場を視察するなど努力を重ねている旅館もある。 

とりわけ叡王…

黒い鞄からフィナンシェが……長手数の激闘を制した永瀬拓矢七段の「将棋めし」哲学とは

6/9(日) 11:00配信

文春オンライン

 将棋は人間同士の戦いだ。

 AIは食事は摂らない。電力がエネルギーだからだ。AIは負けても悔しがらない。それはデータの一部だからだ。だが人間同士ではそうならない。

食事の選択1つで体調は変化するし、時には食事の注文で張り合ったりする。

負ければ泣くほど悔しいし、感想戦で新しいタイトルホルダーの玉将を自分の王将と取り換えもする。

傍から見ている分には「なにやってんだこいつら」と笑ってしまうような選択も、感情による暴走も、それらはすべて立派な勝負である。

そこに価値を見出されているからこそ、将棋はこれまで長く多くの人に愛されてきたのだ。

それを、電王戦から続いてきた叡王戦で強く感じたのは、はたして偶然なのだろうか。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190609-00012253-bunshun-soci

Source: 文春砲

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