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「韓国人は己を邪悪な他人の犠牲者だと信じている」と専門家が指摘 セウォル号の追悼碑建設に反対
1:荒波φ ★ :2019/04/21(日) 09:27:15.01 ID:CAP_USER

■マイケル・ブリン元ソウル外信記者クラブ会長
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2019/04/19/2019041980138_0.jpg

セウォル号の沈没から5周年を迎え、ソウル市は4月16日、光化門広場に死亡者304人をたたえる「記憶・安全展示空間」を設置し、公開することにした。ソウル市は来年、光化門広場を補修する計画で、この施設が期限付きになるか、あるいは常設になるかは、まだ決められていない。

2014年のセウォル号事故は壮絶さを極めた。犠牲者のほとんどが同じ学校に通う子どもたちだったということも、悲しみを一層深める要因となった。従って、当時亡くなった304人をこうした形でたたえるのに公的予算を投入すると言っても、誰も不平を抱かない。

光化門を頻繁に行き交う人々は、光化門広場の南に建てられたセウォル号のテントには慣れているはずだ。これまでの5年間、うちの子どもたちもセウォル号のテント横の噴水でよく遊んだ。

にもかかわらず、私はこの場所が果たして適切な場所なのかどうか疑問に思う。どう考えてもここは、セウォル号の追慕施設が立ち入るのにふさわしい空間ではない。

反対する理由は三つだ。まず、光化門広場は韓国で最も有名な公共空間であるということだ。韓国の歴史上最も尊敬されている偉人の世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が建てられている。

船舶事故犠牲者たちをたたえる施設は、この二人が象徴する光化門広場のテーマにはふさわしくない。追慕施設が立ち入るにはここよりも、適切で意味のある空間が確かにあるだろう。

二つ目に、ソウル市がここにセウォル号の追慕空間を設置しようとするのは「韓国人は犠牲者」という韓国特有の考え方に由来している。私はこうしたフレームが、すでに現実と大きく隔たりを見せていると思う。

国家は、必ずしも君主や軍事的な英雄を通じて国家精神を表現する必要はない。平凡な人々に栄誉を与えようとする主張に、私は賛同する。いつの日か、汗して努力しながらこの国を貧困から救い出したごく普通の人々の銅像が立つことを願っている。

この国の若い世代が彼らの親と祖父母の世代をたたえて「この国の最も偉大な世代に対して永遠の感謝をささげる」という献詞と共に建てられなければならない銅像だ。

しかし、この国には自分こそ邪悪な「他人」の犠牲者だとアピールしたがる傾向があり、これにより自分は道徳的だと感じたがるきらいがある。

私たちが日本大使館の前で従軍慰安婦の少女像を見受ける理由がここにある。80年前のことをこうした方法で抗議するのは、外交史として前例がない。

日本と韓国は共に民主主義国家で、近い友邦という点を考慮すれば、より異例的といえる。しかし、少女像の横のテントで寝泊まりする人々と毎週水曜日の昼食時にデモを繰り返す人々は、自らを正義と考える。自分たちが犠牲者としての韓国を代弁していると感じている。

2019/04/21 05:03
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/19/2019041980139.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/19/2019041980139_2.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/19/2019041980139_3.html

>>多分続きます。

 

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Source: U-1

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