スポンサーリンク




赤とんぼの三木露風「文壇の人として死ぬ」 手紙発見

4/17(水) 20:31配信

朝日新聞デジタル

 童謡「赤とんぼ」の作詞者としても知られる詩人の三木露風(みきろふう)(1889~1964)が、青年時代に友人に宛てた手紙やはがきなどがみつかった。出身地の兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館が17日発表した。友人との交友が絶えた寂しさや、文壇人として生きる決意などが率直に記され、専門家は、若き露風の揺れ動く心情がつづられた貴重な資料とみている。

【写真】露風が書いた歌の短冊=兵庫県たつの市

 資料館によれば、昨年12月、龍野藩士の子孫にあたる村田家から、1905(明治38)年2月の消印があるはがき、原稿用紙6枚(1枚不明)に書かれた手紙、歌の記された短冊1枚がみつかった。いずれの宛名も「村田詩泉」とあり、友人だったとみられる。

 露風は高等小学校のころから句づくりを始め、龍野中学校から岡山の閑谷(しずたに)学校に転校して詩や句の創作に没頭し、05(明治38)年に同学校を中退して上京。手紙の末尾に「十一月十六日」とあり、上京した翌年秋に書かれたとみられる。

 手紙の内容は「龍野中学時代の友人で今だに手紙を呉(く)れるのはあゝ只(ただ)君一人だ」と嘆くほか、「あの頃は君と共にずいぶん盛に気焰(きえん)を吐いたっけねえ」と懐かしむ様子も。自らの性格を「人に拗(す)ね世に拗ね」と例える一方で、「文壇の人として死ぬ可(べ)き事を君に茲(ここ)に誓って置くに躊躇(ちゅうちょ)しない」と自らが進む道への決意も表明した。詩泉が露風に軍歌を書いてもらうように頼んでいたとみられ、「強ひて書けといふなら書くが碌(ろく)なものは出来ないよ」と返事していた。

 資料館の新宮義哲学芸員は「露風は北原白秋(きたはらはくしゅう)とともに『白露時代』を築いた天才詩人。青年期の寂しさや自信にあふれた決意が長文の手紙に記され、若さがにじむ人間らしさが垣間見える」と話す。

 手紙などは今月27日から、資料館で展示される。6月2日まで。問い合わせは資料館(0791・63・0907)へ。(伊藤周)

朝日新聞社

【関連記事】

管理人のコメント

私は、三木露風と同じ、たつの市の生まれです。

私が通った辰野小学校の校歌は、三木露風作です。

小京都といわれ、古い城下町です。

珍しく、たつの市が取り上げられていたので

記事にしてみました。

三鷹市とたつの市は昔から、姉妹都市の交流があります。

皆さんのコメントうれしいです。

ありがとうございました。

ヤフーコメント

名無しさん 59分前
「赤とんぼ」の歌を聞くと時代を超えた郷愁を感じる。
理屈ではないね。
名無しさん 1時間前
こんにちでも、露風はもっと評価されるべきだと思う。
名無しさん 1時間前
三鷹市立高山小学校の校歌の作者です
名無しさん 1時間前
赤とんぼとふるさとは国歌級
名無しさん 1時間前
分からんけど何でも鑑定団にでもでーや
名無しさん 29分前
ハライチの岩井さん?

 

スポンサーリンク




この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事