日本保守党 安倍晋三さんの遺志を継ぐ!日本を豊かに強く!

   

 

スポンサーリンク

データはありません

文春砲!森高千里50歳に 「短すぎる!」と反対されたミニスカートをはき始めた理由

平成の音楽・芸能界、とくにアイドルの世界では、小室哲哉、つんく♂、秋元康などプロデューサーが注目されることが多かった。一方で、アイドルにカテゴライズされた女性芸能人にも、自分で曲や歌詞を書いて歌うなど…

森高千里50歳に 「短すぎる!」と反対されたミニスカートをはき始めた理由

50歳になってもやっぱりミニスカート

 平成の音楽・芸能界、とくにアイドルの世界では、小室哲哉、つんく♂、秋元康などプロデューサーが注目されることが多かった。一方で、アイドルにカテゴライズされた女性芸能人にも、自分で曲や歌詞を書いて歌うなど、プロデュースを手がける傾向が目立つようになった。最近でいえば、指原莉乃はHKT48に所属しながら、=LOVE(イコールラブ)というアイドルグループのプロデュースを手がけ、詞も提供している。あるいは、眉村ちあき(来月メジャーデビュー予定)のように自分で曲をつくって歌うだけでなく、自ら会社を設立して活動を展開している異色のアイドルもいる。

1969年生まれ、50歳の誕生日を迎えた

 そうしたセルフプロデュース型のアイドルの先駆けというと、森高千里が思い出される。森高はまさに平成の初め、「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」「気分爽快」など自ら作詞を手がけた曲を次々とヒットさせた。1969年4月11日生まれの彼女は、きょう50歳の誕生日を迎えた。ちょうど現在、1月からスタートした全国ツアーの真っ最中である。

森高千里

 筆者が初めて森高千里という歌手を知ったのは、たしか中学2年だった1990年、ラジオから「臭いものにはフタをしろ!!」という曲が流れてきたときだった。これは、男が若い女性を相手にロックについてしたり顔で語って聞かせるのを(いまでもSNSでありそうな光景だが)、皮肉交じりに歌ったコミカルな曲だ。恋愛ソングが主流だった時代にあって、その歌はあきらかに異彩を放っていた。

 森高はこの前年の1989年には、南沙織の1971年のヒット曲「17才」をカバーし、そのシングルが20万枚の売上を記録していた。同年にはまた、収録曲に「17才」を含む『非実力派宣言』という開き直りともとれるタイトルのアルバムをリリース。そのジャケットでは、スペースオペラのヒロインのような、どこか現実離れした超ミニスカートのコスチュームで美脚を惜しげもなくさらし、話題を呼んだ。とはいえ、こうした独自の路線を開拓するまで、彼女はスタッフとともに試行錯誤を重ねてきた。

『非実力派宣言』(1989年)のジャケット


Source: 文春砲

スポンサーリンク




ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

2,402人の購読者に加わりましょう

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事
               安倍晋三さんの、遺志を継ぐ❣!日本保守党結党!!