「平成」の次はいったい何になるのだろう――。
新元号が発表される4月1日まで、あと少し。誰によって、いかなる方法で発表されるのか、全国民が注目している。
発表者と発表方法について、安倍晋三首相は3月18日に「検討中。日本人の生活の中に深く根ざしたものになるよう、国民に分かりやすい形で伝わるようにしたい」と述べたが、多くの人の記憶に残っているのは、今から30年前、「平成」が発表された時のシーンではないだろうか。
昭和から平成への改元時に首相を務めていたのは故・竹下登氏。共同通信政治部記者時代に竹下番を長く務め、竹下氏本人から最も信頼されていた政治ジャーナリストの後藤謙次氏が、当時の知られざるエピソードを「文藝春秋」4月号で明かしている(完全保存版・平成31年を作った31人「元号発表さえ『手柄は他人に』」)。
「平成」を発表したのは、言うまでもなく小渕恵三官房長官(当時)だ。あの色紙を掲げた姿は繰り返し報道されたこともあり、現在でも小渕氏は“平成おじさん”として老若男女に親しまれている。
竹下氏は当時、こう話していたという。
「俺は後世に名前が残るが、小渕は顔が残る」
後藤氏が述懐する。
「実はあの小渕氏による発表について、竹下氏の親族からこんな話を聞きました。『本人(竹下氏)は、本音では自分がやりたかった。でも、《改元については官房長官だった小渕さんがあまりに熱心に取り組んでいたから》と言っていました』。“手柄は他人に”がモットーの竹下氏らしいエピソードです」
興味深いのは、「平成」発表に用いられたあの色紙が保管されていた場所だ。
「あの色紙はしばらく竹下邸に保存されていました。竹下氏の死後、孫でタレントのDAIGO君が、あの色紙を持ってテレビ番組に出演したことがありましたが、今は国立公文書館に保存されています」
そのテレビ番組とは、TBS系列で放送されていた音楽バラエティ番組「うたばん」である。番組内のお宝鑑定コーナーで、DAIGOが「なんか家の蔵にあったッス」と色紙を取りだし、司会の石橋貴明と中居正広が仰天していた場面を記憶している人も多いのではないか。
発表方法によっては今回も再び“お宝”が生まれるかもしれない。そういう視点から新元号への発表方法に注目するのもいいだろう。