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「体育」と「スポーツ」は違う

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 去年41日、公益財団法人「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」に名称変更したことをご存知ですか? そして東京五輪が開かれる来年(2020年)から1010日の「体育の日」という祝日の名前がなんと(!)「スポーツの日」になるそうです。「国民体育大会」も「国民スポーツ大会」(略称は「国スポ」)になるそうです。これは日本語の破壊に他ならないと思います。

 公益財団法人「日本体育協会」の前身は明治44年(1911年)、講道館柔道を創始した嘉納治五郎が設立し、初代会長をつとめた「大日本体育協会」です。設立趣意書には「国民体育の発展を図り、オリンピック大会に参加する計画を立てん」とあります。百年以上の歴史を持つ由緒正しい団体です。なぜ、その名称を変える必要があるのでしょうか。「日本体育協会」という、何の問題もない名称を、法律まで変えて改称した理由が分かりません。

 「体育」という言葉はもともと日本語にはありませんでした。幕末に大量に日本に流入した外来語(その多くは英語)を明治の日本人は苦労して和製漢字語に直しました。「社会」「文化」「文明」「共和」「宗教」「体育」・・・みな素晴らしい日本語として定着しています。外来語をそのままカタカナ語にするのではなく、もとの言葉の概念を変えることなく漢字語に直す苦労をはらわれた先人に対して申し訳ないと思わないのでしょうか?

 言うまでもなく「体育」=「スポーツ」ではありません。「スポーツ」とは勝敗を争い、試合を楽しむ競技のことを言うわけですが「体育」は教育の一環というニュアンスがあります。大東亜戦争敗戦前の日本の学校教育は「知育」「徳育」「体育」の三本柱でした。体を鍛えることは学校教育に欠かせない要素だったわけです。しかし最近は体育の時間、子供たちは基礎体力を養うよりも「サッカー」や「バレーボール」「ドッジボール」などをして時間を過ごすことが多いと聞いています。教師は子供たちが好きな競技をやらせがち(子供が喜ぶから)ですが、本当は体育の時間は体操などで全員が基礎体力を養うべきなのです。基礎体力を養ったあと、それぞれの能力に応じた競技をやる子供もいるでしょうが、それは個々人の問題です。初等教育で基礎体力を養うことはその子の一生に関わる大事なことです。

 私はスポーツが好きですし、テレビでいろんなスポーツ中継を楽しんでいます。しかし「体育」という言葉を大切にしない「日本体育協会」には心底、怒りを感じます。カタカナ語の氾濫によって、先人が作りあげた漢字語がどんどん消されています。そのことに危機感を感じ、漢字語を復活させようと考える日本人が一人でも増えてほしいものです。

 

 

 

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Source: 愛国女性のつどい花時計

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