『恋人募集中(仮)』(天月―あまつき―)/『Face My Fears』(宇多田ヒカル)
◆
こうして、毎週毎週新譜を二枚聴いては感想を書くという定点観測的作業を、20年以上にわたって続けてきている俺だが、時折ふと振り返ってみたりしても、思い出せる/口ずさめる曲なぞ、実はそうそうあるものではない。
若者向けの流行歌がjpopと呼ばれるようになってからこっち、作り手の携わりかたや意識が変わってしまった? なんてこともあったりするのか、その辺の事情はよく分からないが、どれもこれもバランスよく出来過ぎているというのは、実感として俺にある。意地悪くいえば、個性に乏しい、当たり障りのない仕上がりのものがほとんどな気もしてしまうのだ。それじゃあ昔の歌謡曲のようには、なかなか耳には残ってくれませんよ。
まぁ何をもって個性的というのかはともかく、不思議だったり妙だったり、一体この作り手はどういうつもりでコレを書いたのか? そんな気持ちにさせてくれるシングルが、ますますチャート上に登って来なくなったのだけは間違いない。当ページの執筆者として、それは責任をもって断言しよう。
いずれにせよ思うのは、この業界においては、作り手たちの見渡せる範囲――というのも抽象的ないいまわしだが、嗜好などにまつわるデータ/情報の意である――がどんどん広がっていっているということである。
ひらったく申せば、大まかな売れ筋/トレンドなど、今やネットで誰しもが簡単に知ることが出来る。そうした“検索社会”の精度が上がれば上がるほど、きっとおそらく、独特の視点はますます生まれにくくなっていってしまうことだろう。あ、それは別段音楽に限った話ではないですけどね。いずれにせよ、売れる楽曲(商品)を作りたいと思ったとき、作家が昔より“傾向”を数値化などして取り入れてしまっている可能性は高くなっていると思うのだ。
今週届けられた『恋人募集中(仮)』にしても、そういった文脈に於いて、ターゲットがよく見えていて大変に手堅い楽曲だなというのが第一印象であったが、作者の天月-あまつき-は、動画サイトから出てきた今売れっ子の一人だそうだ。この楽曲のプロダクション、たしかにそっち界隈(ってなんの界隈なんですかね!)の人たちの好むところを上手く抑えているというか、知り抜いているというか、丁寧な作りで、これが売れる、というのはよく分かる。
聴いていて面白いと思ったのが、この曲は果たして自分本来の持っている世界をピュアにあらわしたものなのか、或いは単に職業作家的に割り切って仕事をした結果なのか、そのあたりの“動機の本質”の読みにくいところである。
昨今、jpopで売れているクリエイターたちの作品を見るにつけ、その傾向はさらに強まっているようにも映るのだが、どうなのであろうか?
宇多田ヒカル。
クォリティは高いと思うけれど、この曲ならでは! という売りは、何なのかなぁ?
今週のパラスポーツ「車いすバスケや座ってやるバレーってあるじゃん。あれって障がい者だけでなくて、きっと健常者もやれるスポーツだよね。どちらでもやれるルールで一緒に競いあう試合があったら、気分いいんじゃないかなーとオレは思ってるんだけど」と近田春夫氏。「実際に試合をやったら、健常者の方が弱いかもしれないじゃん!」