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昨年9月に亡くなった樹木希林さん。全身をがんで蝕まれながらも、それを感じさせない自然体な生き方が共感を呼んだ。 そして、平成を代表する名女優は、対談の語り部としても一流だった。樹木希林さんの珠玉のメッ…

「年をとるって好きなの。若くなりたいなんて思わない」――樹木希林が遺した生き方のエッセンス

「年をとるって好きなの。若くなりたいなんて思わない」――樹木希林が遺した生き方のエッセンス

©2007T-obtoF.P.

 昨年9月に亡くなった樹木希林さん。全身をがんで蝕まれながらも、それを感じさせない自然体な生き方が共感を呼んだ。

そして、平成を代表する名女優は、対談の語り部としても一流だった。樹木希林さんの珠玉のメッセージをまとめた『 一切なりゆき~樹木希林のことば~ 』から、「生」と「死」にまつわる味わい深い発言を厳選して紹介する。

■「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる?

? ゆくゆくは子供と一緒に住みます。面倒はみませんけど、面倒はみてもらいます。

自分のためには一人のほうがむしろ気楽なんですよ。でも、うちの娘なり、婿なり、その子供たちが、私の死に際を実感として感じられる。ずっと離れて暮らしていると、あまり感じられないのですね。「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられると思う。  終了するまでに美しくなりたい、という理想はあるのですよ。ある種の執着を一切捨てた中で、地上にすぽーんといて、肩の力がすっと抜けて。存在そのものが、人が見た時にはっと息を飲むような人間になりたい。形に出てくるものではなくて、心の器量ね。

(「私の夢みる大往生」1996年9月)

■「一生にも二生にも三生にも」

私の場合は特に生と死に関して境がないような感覚があるんですよ。死が特別違う形になるという感覚がなくて。

? お経の中に、「一生にも二生にも三生にも」という言葉があるんですね。何だ、一生じゃないんだ、また二生もあって、三生もあって、人間はいろんな試練や出来事に遇うという。だったら何も今生をここからここまでと決めずに、まあ、今生はこういう顔をして生まれて来たけど、次はまた違う姿かもしれないし、魂の着せかえ人形じゃないけど、さほど「私の最期」と考えなくてもいいなと思ったりもするんです。

(「初々しく老いて」2002年2月)

■死を感じられる現実を生きられるというのは、ありがたいものですね

がんになったことで、人生観も変わりました。がんにならなければ、心のありようが収まらなかったかもしれません。“人はかならず終わる”という実感を自分の中に持てたことは大きかったです。命の限りを実感できてよかったのは、心の整理ができること。がんという病気は、たいていいくらか残された時間があって、その用意が間に合うんですよ。

わたしは自分のことで人を煩わせるのがすごく嫌なんです。自分のことを自分で始末していくのは大人としての責任だと思うから。死を感じられる現実を生きられるというのは、ありがたいものですね。いつ死んでも悔いがないように生きたい。そう思っています。

(「表紙の人 樹木希林」2015年7月)

■がんという病気というのは、これは貴重ですよ

以前は気に入らないと相手を全面否定してましたね。人間というのは、自分というのは、そんなに立派なものじゃない、と分かったら愕然(がくぜん)として。他人を全面否定なんてできるわけがないのに、なかなか分からずに、よくもまぁこうやって生きながらえてきたなぁと思って。

だから、死のない病気だったらまだやってたと思うんですけど。死というものがものすごく間近に、ちゃんとここにある。がんという病気というのは、これは貴重ですよ。治るようにもなってきてるから、そういうふうにあんまり言えないけど。今世紀に必要とされる病気なんじゃないですかね、人間にとって。そんなふうに受け止めているんです。だからそれで、別に不幸だと思わない。ていうのが、だいたい、私の物の考え方なの。そうすると楽ですよ~。あんまりないの、辛(つら)いことが。

(「嘘のない人生を生きたいと思う、だからいま、こんな夫婦です。」2009年1月)?

■年をとるって好きなの。若くなりたいなんて思わない?

若いときは自分への見栄と、子育てと縁でつなげていって、ふと年とってあちこちの体調不良に気づかされたとき、このままじゃ死ねないって。じゃ、あやまる。あやまるのは力も不要だし、タダだしケチな私にはピッタリ(笑)。年をとるって好きなの。若くなりたいなんて思わない。不老長寿の薬なんか発明されたら、即ヤメテ~!(笑)

(「家族というテーマは無限大です。」2008年7月)

■? 死ぬために生きているのではなく、生き切って死というものがあって

この歳になると、たくさんの死と出会っていますからね。今まで一緒にご飯を食べてた人が、わりかしあっけなくふーっと亡くなっていく。親しい人、よく知ってた人ほどあとから悲しみが増すでしょ。オカンもそんな人。だから生きていたときが懐かしくなるように、彼女の日常の積み重ねが大きかったんです。死ぬために生きているのではなく、生き切って死というものがあって、いなくなった瞬間に、生の感情がドドーっと出てくるみたいな。

だから、もうちょっとオカンのオカシイ部分、コロコロ生きてるところをやりたかったなという気はする。それは出番を増やすってことじゃなくてね。中途半端に生きてるとやっぱり、“ああ、お話だから死んだのね”ってなっちゃうじゃない?

(「樹木希林の言葉」2007年4月

Source: 文春砲

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