『一番星』(天童よしみ)/『望郷山河』(三山ひろし)
◆
今週は三山ひろしに天童よしみというラインナップだが、趣向と申せば、今どきの演歌とは? といったところか。しかしこの二曲、一口に演歌といって、聴き比べると味わいは随分と違うだろう。ある種接点ナシといってもいい。
すなわち、演歌が“日本人の心”を歌うというのなら、通底する色調のようなものは確かに感じ取れる。そうだとして、だが、それぞれがその“日本人の心”の、どの部位に対しての影響/効果を狙って作られた商品(作品)なのか、といった視点で眺めると、両者の表現は、別の目的/ベクトルのものにも思えてくるのである。
と、まぁそこまで勿体つけて話すようなことでもないんですけどね。演歌ってなんとなく二種類あるんだよなァと、前々からうすうす感じていたところに、今週図らずも届けられた二枚を聴きくらべるうち、心のモヤモヤがすこーし解消出来ましたァ! ということである。
要するに、ここ演歌の世界には、聴く人の寂しさや悲しみを浄化する働きに、優れた効果を上げるような作品も多くある一方で、人を浮かれた気分にさせるゾ! という、それこそノー天気なもくろみを第一義に作られたものだって結構ある、ということなのだけれど、いつの頃からか、演歌というと――俺などにいわせりゃ――前者が新曲のほぼ大半を占めるようになってきたようにも思えるのだ。たとえば氷川きよしにしても、『ズンドコ節』など後者で人気を得ながらも、気がつけば前者ばかり新曲を出している。
そう気づいてみると、それはひょっとすると世間でよくいわれる“演歌の衰退”なる議論に少しは関係あるのかいな? という感じもしてくる私だが、いずれにせよいえるのは、演歌に“さわげる曲”や“明るい曲”が、かつてほどには表に出てきてないよね、ということだろう。いま、この時代の演歌には、その歌の世界/景色にももう少し――ステージ衣装に見合うぐらいには――派手派手しさ/勢いのよさを求めても、バチは当たるまい。
そうした意味において、天童よしみのこの曲は、美空ひばりの『人生一路』や、細川たかし『浪花節だよ人生は』等、リズム演歌正統派の血をしっかり受け継いだ、聴くものの血を騒がせる力を強く持つ佳曲! とはなんとも目線の位置を指摘/糾弾されそうないい回しだが、このような、ある伝統的な、不変的共通する要素を持った、いってみれば“ジャンル感”のハッキリした音。そうした基本を踏んまえたうえで、時代性というのか。今をしっかりと捉えた仕上がりなのが安心だ。
“日本のリズム演歌のスタンダード”として、ずーっと残っていってくれたら嬉しい。そんな気にさせられる曲だった。何よりいいのはjpopなどではこのプリミティブな高揚感は味わえぬ、そのことだ。
三山ひろし。
昭和フォークの洗礼を受けて以降の演歌の最新系かも?
今週の告知「僕の隔月トークイベント“空耳人生 友の会”に、今度近田さんに来てもらうことになったよ」と安齋肇画伯。「ユ〜ルい感じで4年近くやってきて、まだ一度もお招きしてなかったんですよ。最近近田さん多方面に活躍中だから、ぜひお話を聞きたいと思って(笑)。2/15(金)、虎ノ門Rethink Lounge。よかったら来てください」