『レッツゴーボウリング』(桑田佳祐&The Pin Boys)/『泣かせてくれよ』(吉本坂46)
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日本語のフォーク……。源流を辿れば、おそらく’60年代にアメリカから入ってきたムーブメントに端を発する、一種の“音楽運動”の筈だが、あれよあれよという間に様変わりを果たし、我が国独自のジャンルとして、市場を席巻し、そして定着していった。
何よりの特徴は、詞作にある。それまでの歌謡曲とは違い、メロディとの関係において、たとい字余りになろうとも構わない。音楽的な心地良さより、コトバで伝える内容を重視して、楽曲が作られたともいえるだろう。そのあたりはボブ・ディランの影響に違いないとも思うのだが、日本固有の“フォークブーム”の頃には、もう本家とはあまり関係はなくなっていたような気もする。単にフォーマットが、日本語で歌詞を書くときに構造的に便利な故、若者たちに重宝されるようになっていったのだと俺は見ている。
字余りのついでにもうひとつ。いわゆる“ですます”口調というのも、フォークから始まった。これは多分、はっぴいえんどが元祖だと思うのだが、気がつけば猫も杓子(しやくし)も、
♪ なのです〜
とかやるようになっていた。
今週届けられた二枚を聴き、作風に通底するものを感じた。ある時代へのオマージュというか、何か当時を彷彿させるような印象を意図的に与えようとして、作品が作られていることが、見てとれた。
作り手だが、桑田佳祐に秋元康と、どちらもjpop界には多大な影響力を持つ。二人が、奇しくも同じように“あの頃”を強く意識させる曲調のものをこの春に向け、出してきたのである。
無論、あの頃とはいっても時代考証的観点では、厳密に特定するには難しい歌詞であり音であることを百も承知でいうが、それにしても、この二曲の傾向が収斂(しゅうれん)していく先に見える景色が、’60年代半ばから’70年代前半のものであることに、異論はなかろう。
思うのは、二人が二つ違いでほぼ同年代なことだ。きっと彼らにとって、その頃が一番多感な時期と重なったことは想像に難くない。また、我が国商業音楽史の中、あそこまで一気に流行歌が変革を遂げてみせた時代は、後にも先にもなかったろう。それを目の当たりにするというのは、やはりダイナミックな経験だ。原風景として二人の心に焼き付いていると考えて不自然なことはない。なのだけれど、それはわかるとして何故二人揃って今なのか?
ご両人ともチャート的に申せば“機を見るに敏”。市場の求めるものを本能的にカタチにし、表してゆくことでは、類まれな才能の持ち主である。ただ二人の鉱脈の掘り当て方は入り口からして違う。それが偶然にも、今回のシングルは、結果ある種共通性の感じられる音となった。それぞれ二人は、どんな直感で、その方角に目をつけたのか、そして“日本語のフォーク”調がこの先jpopのトレンドとなることはあるのか……?
ウーム。何か気になる二巨匠の傾向なのではあった。
今週の告知「1月20日(日)、原宿クロコダイルで“サニー久保田とオールド・ラッキー・ボーイズ”のライブがあるよ。サニー久保田は、オレ原案の映画『星くず兄弟の伝説』で主演してくれたミュージシャンね。オレら活躍中がオープニングを務めます」と近田春夫氏。「というわけで、今回はラクーにやろうと思っているんだけど、よろしければぜひ!」