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文春『バジュランギおじさんと、小さな迷子』――桜庭一樹のシネマ桜吹雪

人間の感情には、それを表す言葉があるものと、ないものとがある。 たとえば「愛する」とか「怒る」とか「感激する」とかは、あるほう。 一方、なにかがついに終わって「辛いけれどホッとしている」とか、人から陥…
人間の感情には、それを表す言葉があるものと、ないものとがある。

たとえば「愛する」とか「怒る」とか「感激する」とかは、あるほう。

一方、なにかがついに終わって「辛いけれどホッとしている」とか、人から陥れられて「軽蔑のあまり無気力になる」とか、褒められて「うれしさになぜか悲しみも混ざる」とかには、名前がない。

こういう感情をひとつひとつ掬(すく)いあげて名付けていくのが小説の役割なのだと思って、わたしは小説家をやってます。

さ、さて。この作品は、民族間の憎しみや宗教の違いをテーマにした、“歌って踊るインドの社会派エンターテインメント映画”なのだ。

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パワンは田舎町から都会デリーに出てきた青年。正直者で、敬虔なヒンズー教徒だ。ある日、口のきけない迷子の少女を拾った。親を探し、世話もしていたところ、とんでもない事実がわかる。少女はなんとパキスタン(前世紀半ばからインドとの戦争を繰り返す隣国)人で、異教徒、つまりイスラム教徒だったのだ。

パワンは少女から手を引こうとするが、かわいそうで、できない……。危険な国境を超えてパキスタンに密入国し、少女の家を探すことにする。

モスクに寝泊まりさせてもらったり、協力者と親しくなるうち、彼の心は次第に国境や宗教の壁を超えていく。

そして、ちいさな少女が、もはやインド人でもヒンズー教徒でもない新しい剥き出しの人間パワンにとっての神さまになっていく。

パワンは無一文になっても、スパイの嫌疑をかけられて警察に追われても、少女を助けるために命をかける。

そのことによって、彼は聖者になり、やがて両国民にとある変化を……?

観終わって、あぁ、「あなたをわたしの神とする」という言葉もこの世に存在しないのだな、すごい映画を観た、と思いました。

INFORMATION
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
1月18日(金)より全国順次ロードショー
http://bajrangi.jp/Source: 文春砲

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