「タイトルに惹かれて、届いた脚本を読んでみると、とても面白かったんです。
障害のある人の映画って、ひとつのイメージがありますよね。苦労はあるけど頑張っている、それを涙ながらに綴っているような。正直なところ、そういう映画なら僕は出たいとは思わなかった」
首と手をわずかしか動かせない筋ジストロフィー患者を演じた『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』に出演を決めた理由を、大泉はこう語った。
「障害のある人は、町へ出るのも困難だったり、家族を始めいろいろな人に助けられて、ひっそりと生きていると思われがちです。
でも、この映画の主人公の鹿野さんはそういう人ではない。自分ではほとんど身動きできないのに、病院を出て自立したいと言って、実現してしまう。その生活は多くのボランティアに二十四時間支えられてギリギリ成り立つんですが、鹿野さんは遠慮せずたくさんのワガママを言うんです」
タイトルの「バナナ」も、深夜に「バナナを食べたい」という鹿野の要望に、あきれながらも何とか応えようとするボランティアのエピソードから来ているのだ。
「ワガママとは言うけど、人として普通に生きたい、欲求を叶えたいってことなんですよね。みんな自由に食べるじゃん、だったら俺もやりたいんだよって。だから旅行にも行くし、ボランティアに手伝ってもらってAVを観たり、ラブレターの代筆までしてもらう。ほんと面白いんですよ、鹿野さんって(笑)。重いテーマではあるけれど、笑いもあるし、きちんとエンタメになっているところが、今までにない脚本だと思いました」
出演を決めた大泉は原作本も読み、さらに脚本について四時間にわたり前田哲監督と電話で話し合った。
「僕は意見があればすごく言うほう(笑)。主演として云々というより、作り手の一人としていい作品にしたい。納得できる答えが返ってくればそのままでもいい。何も言わないでおくのが、いちばんよくないですよね」
鹿野は実在した故人。映画化に際して原作を脚色しているが、作品中の出来事の多くは事実をベースにしている。それゆえの難しさも感じていたという。
「まず、現実にいた障害者の方を演じるのは、何をしても不謹慎になるのではないかという心配。そこを覚悟を決めて取り組んだわけですけど、鹿野さんはほんの十五年ほど前まで生きていた人です。だから鹿野さんを直に知っている人が、たくさんいるわけですよ。すると、『実際の鹿野はそうじゃない』という声も、当然届いてきますよね。
でも、僕らが作っているのはドキュメンタリーじゃない。鹿野さんそのままでは、成り立たないんです。僕が役者としてやるべきことは鹿野さんのモノマネではない。自分なりの演技を通じて、鹿野さんが持っていた考えや思い、その本質的なところを観る人に分かりやすく伝えることなんですよ。事実とフィクション、エンターテインメントの匙加減は、この映画の場合とても難しかったと思います」