待ってました「新語・流行語大賞」。今年も無事に世の中をザワザワさせました。
私は毎年主張しているのですが、流行語大賞は「おじさんによるおじさんのためのプレゼン」と考えればいい。新聞を擬人化すればおじさんだと思うのですが、流行語大賞もおじさんだと思えばすべてスッキリする。
ネットでツッコまれるまでが流行語大賞
家に着くまでが遠足なら、流行語大賞は「ネットでツッコまれるまでが流行語大賞」なのである。「おじさん、そんなの流行ってねーよ」と。
そういう楽しみ方が定着しつつあるのを気づいてしまったか、今年はなんとなく先方は注意深くなっていた。「eスポーツ」がノミネートされていたが、おじさんはそんなの興味ないはず。もっと自由に選んでほしかった。「トリプルスリー」や「神ってる」みたいに。
でもやはり安心した。大賞が「そだねー」だったからだ。
平昌五輪カーリング女子日本代表チームが試合中に話していた「そだねー」。
時の流れがはやい今、2月の言葉が選ばれるなんておじさんやオヤジジャーナルがカーリング女子にいかに夢中だったかあらためて証明された。
「そだねー」にとりつかれたような2月
日刊スポーツの当時の見出しを並べてみよう。
「カー女 もぐもぐ注文10倍 美味し『そだねー』と注目!!」(2月21日)
「メガネ先輩に韓敗です カー女 銅があるよ そだねー!!」(2月24日)
「カー女は銅だよ!! そだね~ 逆転できたよ!! そだね~」(2月25日)
とりつかれたように連呼していた。 カーリング女子にとって「そだねー」は単なる地元の言葉だが、おじさんにとっては「訛り=素朴」という勝手なロマンも抱ける。こうして「そだねー」はおじさんのものになったのである。今回流行語大賞に選ばれ、大団円を迎えたと言ってよい。
いちいち気になるスポニチの「おじさん」的解説
さて発表翌日のスポーツ紙はどう伝えたか。私が気になったのはスポーツニッポンの解説だ。
「パワハラワード蹴散らしポジティブ平成世代が締めた」(12月4日)
ボクシングの「奈良判定」など今年はパワハラが取りざたされた一年だった、と記事は書く。強烈な言葉が多かったと。
《そんな“パワハラワード”を蹴散らしたカーリング五輪出場メンバーは、1991〜93年生まれの“ゆとり世代”。学習量や授業時間を削減した“ゆとり教育”を受けた若者たちで、「個人主義」「受け身」と揶揄(やゆ)されることもある。》
いちいち気になる解説である。 パワハラワードを「蹴散らした」のは選んだおじさんであってカーリング女子ではない。あと、ゆとり教育を受けた若者たちが「個人主義」「受け身」と揶揄されると書いているが、揶揄してきたのは上の世代だろう。
おじさんによる、おじさんのための解説
しかし記事は続く。
《それをはねのけての大賞。》
それをはねのけて選んだのはおじさんです。パワハラワードや#MeTooより「そだねー」を選んだのはおじさんたち。
《選考委員会は「マイペースで仲間を尊重し合いながらスペシャルな結果を出す、平成世代の実力を見せつけた」と解説。ゆとり世代発信の言葉が平成を締めくくるという、象徴的な結果となった。 》
ゆとり世代、ゆとり世代と言われる側にしてみれば「そういう教育を導入したのはお前らだろ」となるはず。 しかし「ゆとり世代発信の言葉が平成を締めくくる」と満足そうに解説を締めくくる。まさにおじさんによるおじさんのための解説である。私もおじさんだからこういう事例を見たら学ばなくてはいけない。読んでてドキドキした。
「ご飯論法」のノミネートを深読みすると
そういえば今年は「セクハラ罪という罪はない」という麻生財務大臣の言葉があった。変わろうとしないおじさんを見るのは地獄だ。そんな大事なことも学んだ年であった。
さて、ノミネートされた言葉で今年を象徴してそうなものは「ご飯論法」だろうか。政治家の論点ずらしの答弁のことだが、論点をずらしてそのまま押し切ってしまうのはあらゆる場面で見られた。最近で言えば入管法改正もそうだろう。
それだけではない。
「あった」と言われていたものが「なかった」という説明もよくあったし(モリカケ系)、逆に「なかった」と言っていたものが「やっぱりあった」という展開も多かった(こちらもモリカケであり自衛隊の日報問題など)。
ある意味すべてが論点ずらし。今年一貫していたものである。
あれ、ちょっと待てよ……ということはまさか……。
流行語大賞がズレているように見えるのは、実は論点ずらしを表現していて社会への皮肉なのだろうか。
いけない、考え過ぎた。
来年も流行語大賞おじさんに期待します。
(プチ鹿島)