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いつか必ずやってくる親との別れ。

「母の死」を真正面から漫画で描いた瀧波ユカリさんは、

仕事と育児を両立しながらの遠距離看護について

「日常が大変で、逆に悩んでいる場合じゃなかったというのが救いにもなった」と…

 

 

瀧波ユカリが語る「仕事と育児と親の看護をうまく回すためのコツ」

瀧波ユカリが語る「仕事と育児と親の看護をうまく回すためのコツ」

瀧波ユカリさん

 

いつか必ずやってくる親との別れ。「母の死」を真正面から漫画で描いた瀧波ユカリさんは、仕事と育児を両立しながらの遠距離看護について「日常が大変で、逆に悩んでいる場合じゃなかったというのが救いにもなった」と語ります。ストレスや悲しみとどう向き合い、乗り越えたのでしょう。看護を通じて見えたことや、お母さまとの思い出についてもお聞きしました。

◆ ◆ ◆

■仕事と育児と看護をうまく回すためのコツ

──仕事と子育てと遠距離看護と、本当にやることがたくさんありましたよね。バランスはどうやって調整していたのですか。

瀧波 私の場合は、日常が大変で、逆に悩んでいる場合じゃなかったというのが救いにもなったように思います。少しでも悩んでいると仕事も育児も立ちゆかなくなるので、頭に悩めるスペースがなくて、かえっていろいろ進められた気がします。

だからもし、自分の子どもが自立した後で、仕事もそんなに忙しくなかったら、たぶんもっと悩んでいたと思います。仕事と育児と看護をうまく回すためには、あまり悩まないようにするのも大事だと思います。

──家族旅行として、みなさんでハワイに行かれましたが、それも「悩むなら行こう」という感じで決めたのでしょうか。

瀧波 私は昔から悩まないでまず行動するタイプなんです。生まれつきの性格もあると思うんですけれど、物事って行動さえすれば先に進むので、何でもいいから思いついたことから行動してみるようにしています。

がん患者をハワイに連れて行くのはリスクもありましたが、そこは「ダメになったらしょうがない」と割り切るしかないと思うんですよね。

──お母さまの治療費はもちろん、ハワイ旅行や、大阪と札幌の往復など、看護にもかなりのお金がかかったのでは。

瀧波 私は普段お金をむだに使うと落ち込むタイプなんですけど、お金って全部が有効に使えるわけじゃないんですよね。最後の思い出作りに、と家族全員で行ったハワイ旅行は有効なお金の遣い方だったと思います。我が家ぶんだけでもすごい金額でしたけど(笑)。

■母はいざという時の備えをちゃんと考える人だった

――もしもの時に備えて、保険には入られていたのでしょうか。

瀧波 母はいざという時の備えをちゃんと考える人だったので、保険にも入っていて、入院や治療などの面でお金の心配はいりませんでした。実は私が昔、保険のテレオペをしていたことがあって、保険には詳しいんです。

■グルグルした自分の感情をノートに書いて、夫に見せていた

──お母さまの闘病中はご主人にイライラやモヤモヤをノートでも打ち明けていたそうですね。

瀧波 今にして思えば、「母が死ぬ」ということが受け入れられなかったのもありましたし、母のことが心配なんだけど、そのことがうまく考えられないし、何をしてあげたらいいかも分からず、自分の中で気持ちの整理がつけられなくてグルグル考えていたんでしょうね。

私は問題が起きた時に何もしないでいることがとても苦手なので、そんなグルグルした自分の感情をノートに書いて、夫に見せていました。夫からは具体的なアドバイスはないんですが、「そういう気持ちなんだね」みたいなことを交換日記のように書いてノートを返してくれて、少しずつ自分を取り戻していったように思います。

──闘病中の方やご家族がブログを書くことも多いです。

瀧波 書くことはどんな人でも気持ちの整理につながると思うし、書いた文章を通じて交流ができたり情報収集につながったりもするので、どんな形でも書くことはいいことだと思います。

■最期の10日間は、メモリがいっぱいのPCみたいだった

──それでも、最期の数日間は壮絶な看護生活でした。

瀧波 大阪で暮らす姉が母を引き取って見てくれていたので、私が母のお世話をしたのは最期の10日間くらいなんですが、母が90分おきくらいに目を覚ましてトイレに行こうとするので、まったく眠れず、精神的におかしくなりました。

私は病室で仕事もしていて、今考えると、何で仕事を休まなかったんだろうという感じですが、眠れないと人間ってどんどん頭が回らなくなってくるんですね。いつものことを続けないといけないと思い込んで、病院の中に洗濯機や乾燥機もあることに気づかなかったり、病室の中に浴槽があるのに「銭湯に行かなきゃ」と思ったり。メモリがいっぱいになると、パソコンやスマホも動きが鈍くなるじゃないですか。あんな感じでした。

──そこまで看護しても、後悔していることなどはありますか。

瀧波 最期が壮絶すぎたので、しばらくは「ああ、終わった」みたいな感じでした。もっと優しくできたら、というのは思うんですけど、でもあれ以上優しくもできなかったしな、という思いも(笑)。

──お互い、ギリギリの状態ということもありますよね。

瀧波 決して嫌いあっていたわけではないのですが、母が面倒くさいコミュニケーションの取り方をする人だったので、それによって関係性が崩れ、それをなんとかしたいという思いがずっと続いていたんです。がんになって、その問題は解決できないまま母は亡くなりましたが、できるだけのことはやったので、後悔はないです。

■最期まで「おしゃれで買い物好きの母」だった

──お母さまとの忘れられないエピソードがあったら教えてください。

瀧波 最後の入院をする前に、母を銀行に連れて行ったんです。銀行の隣にかわいい雑貨屋さんがあって、何を思ったのか母はそのお店に入り、「入院する時に持って行く」とふくろうのイラストが描かれた、がま口型ポシェットを買っていました。おそらく、その時点で母は入院したらもう自宅には帰れないと分かっていたはずなんです。でも、かわいいお店があったから入り、かわいいバッグが売っていたから買う、そしてそのお気に入りのバッグをお出かけに持って行く、という行動を見て、母は最期まで「おしゃれで買い物好きの母」だったんだなと思いました。

──「がん患者」である以前にその人自身であるわけですものね。

瀧波 結局、人って、病気になったからといって「余命わずかな人」になるわけではなく、最期まで自分のままなんだと思います。面倒くさくて、付き合いにくい親でしたけど、ふとした時に嬉しそうにふくろうのバッグを持っている母を思い出せるのはよかったなあと思います。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

たきなみ・ゆかり/漫画家。1980年北海道札幌市出身。日本大学藝術学部写真学科卒業。著書に漫画『臨死!! 江古田ちゃん』全8巻、『あさはかな夢みし』全3巻、『モトカレ マニア』1~2巻(共に講談社)、エッセイ『はるまき日記 偏愛的育児エッセイ』(文春文庫)、 『女もたけなわ』『30と40のあいだ』(共に幻冬舎文庫)、『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』、『ありがとうって言えたなら』(共に文藝春秋)など。

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(相澤 洋美)

 

 

 

 

 

Source: 文春砲

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