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文春砲!現代にある「進歩への絶望」ゴタゴタいうより絶滅をする?

『絶滅できない動物たち』

(M.R.オコナー 著/大下英津子 訳) 

シートンの『動物記』やバイコフの『偉大なる王(ワン)』

を私の世代は読んで育った。

その主題は『モヒカン族の最後』と同じ、滅びゆく種族を唄う…

現代にある「進歩への絶望」 ゴタゴタいうよりいっそ絶滅してしまったほうが……

11/18(日) 11:00配信

文春オンライン

 シートンの『動物記』やバイコフの『偉大なる王(ワン)』を私の世代は読んで育った。その主題は『モヒカン族の最後』と同じ、滅びゆく種族を唄う叙事詩でもあった。その裏には進歩していく現代社会があった。絶滅は近代的進歩の代償に過ぎなかった。

現代の「絶滅」論はそれに比べて、なんと殺伐としていることか。そこには進歩への絶望があるというしかない。なにしろコンピュータが人類を置き換えるというお話すら出てくる時代なのである。

絶滅に対処して、遺伝子を保存する貯蔵庫があり、それを利用した種の復活の試みがあり、iPS細胞がある。そうした技術を利用して仮に絶滅種が「復活」したとしても、それはいったい何者なのか。著者はそれをしきりに論じる。われわれはそもそも自然のなにを理解したのだろうか。

全体は八章に分かれているが、それぞれがカエルやサイやリョコウバトなど、具体例を扱っている。そこがたいへん興味深い。生きものが好きな人なら、詳細を堪能するであろう。

原題は「復活の科学」、これは含蓄に富む表現である。英語のリザレクション、復活には、キリストの復活という含意がある。宗教離れが進む現代で、この言葉を科学と結びつけることは、キリスト教圏の人々にかなり複雑な連想を起こさせるはずである。キリストの復活は奇跡であり、奇跡はキリスト教の中心に位置する。

それにしても、と私は思う。よくもここまで絶滅を追求するなあ。すっきりした解答がない点は、死の議論に似ている。あるようで無く、無いようであるのが死である。絶滅も同じで、恐竜は絶滅したが鳥は生き延びている。恐竜は確かに滅びたが、鳥になったということもできる。

帯には「いっそ、絶滅してしまったほうが――」とある。これぞ日本人。私はそう感じた。ゴタゴタいうよりいっそ絶滅。それを言ってはお終いですけどね。

M.R.O'Connor/ジャーナリスト。コロンビア大学ジャーナリズムスクール修了。「ニューヨーカー」「ウォール・ストリート・ジャーナル」などアメリカの有力紙誌に寄稿。本書が初の著書となる。NY在住。

ようろうたけし/解剖学者。1937年神奈川県生まれ。『からだの見方』『バカの壁』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。

養老 孟司/週刊文春 2018年11月22日号

 

 


名無しさん
3時間前
小松左京の日本沈没。
何もしないほうがいい。
を思い出すな。

名無しさん
4時間前
アンチナタリズムがじわじわと浸透する事で、やがては絶滅せざるをえないだろう。さらば人類。

名無しさん
3時間前
絶滅したくて生きている種族はないだろうに。

名無しさん
2時間前
文春の読者ってこんな難しい事も理解できるんだ?(笑)

名無しさん
4時間前
自殺寸前の言い草では生命や文明社会は語れない。進化は絶滅寸前のできごとじゃないでしょうか。どこまで耐えられるか酷寒のシベリアで生きた生き物が体内に酷寒に対する耐性遺伝子がつくられるのではないでしょうか。岸壁で死を覚悟して飛ぶ。その群れの生き残りに羽が生えてくるのか捕食した生物の遺伝子に感染して羽毛が生えたのかわかりませんが。絶望のなかで生きることこそ生きる醍醐味じゃないですか。

 

Source: 文春砲

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