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FBが「支那」を禁止用語に!アカウント停止に・池田信夫‏『「支那」は差別語ではなく地名である』

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Facebookで「支那」は禁止用語になったようだ。問答無用でアカウントが停止され、理由は説明しないので要注意。
画像:https://twitter.com/dragonsnow1995/status/1043776053565521920

https://twitter.com/ikedanob/status/1043745070946516992
池田信夫‏認証済みアカウント @ikedanob
Facebookで「支那」は禁止用語になったようだ。
問答無用でアカウントが停止され、理由は説明しないので要注意。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52019895.html
15:13 - 2018年9月23日

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52019895.html
「支那」は差別語ではなく地名である
池田信夫 blog、2018年09月23日15:13

最近Facebookの検閲がきびしくなって、「支那」という言葉を使うとアカウントが停止されるようだ。グーグル日本語でも候補に出てこない。これはマスコミでは昔から禁止だが、根拠のないタブーである。その語源は5世紀ごろインドで中国を「シナ」と呼んだもので、このもとは「秦」だといわれる。中国には「漢」や「唐」などの王朝を超える地名がなかったため、シナやチャイナという呼称がヨーロッパでも使われた(今も使われている)。

支那という漢字も中国で当てたものだが、これは他称なので、中国人は使わなかった。日本に輸入されたのは平安時代で、江戸時代に広く使われるようになった。どちらの国でも「中国」という言葉は、ほとんど使われなかった。まれに中国人がそう呼ぶときは「南蛮北狄」などに対する世界の中心という意味で、「わが国」の尊称だった。

その事情が複雑になったのは、明治以降である。「支那人」を差別する日本人がいたことは事実だが、それは「支那」が蔑称だったからではなく、他にあの大陸を表現する言葉がなかったからだ。しかし中国から日本に来た留学生は、彼らの知らない「支那」という言葉を差別語だと感じたようだ。1930年に中華民国政府は、「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らないと日本政府に通告した。これがタブーの始まりだった。

>最近Facebookの検閲がきびしくなって、「支那」という言葉を使うとアカウントが停止されるようだ。

これは、許せない!

日本語の「支那」(シナ)は英語の「チャイナ」やオランダ語やポルトガル語の「シーナ」などと同じであるにもかかわらず、日本人に対してだけ「チャイナ」「シーナ」などと同じ「シナ」の使用を禁止するのは、Facebookによる日本人に対する差別だ!

Facebookは、日本人差別をやめろ!

>支那という漢字も中国で当てたものだが、これは他称なので、中国人は使わなかった。

支那人も「支那」を使っている。

池田信夫の間違った思い込みだ。

「支那」という表記を発明したのは古代支那人であり、「支那」という言葉(表記)は、大昔からあった。

支那人自身が支那を「支那」と呼んできており、清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。

これらは、1999年5月7日付「人民日報」も認めている事実だ。

"支那"原是"Cina" 的音譯,是古代印度対古代中国的称呼,最早出現在梵文佛経中。梵文Cina進入不同的語言中,其読音変化不大,譯音是"China"、"支那"、"脂那"、"至那"或"震旦"。
1999年5月7日付けの「人民日報、支那源流考」

中国でも仏典や、「宋史」などに支那という語が使われているそうだ。
北京かわら版 1999年3月 第90号 雑学 中国を繙く24「支那」は本当に悪くない言葉か(1) 櫻井澄夫(元JCB北京事務所所長)

また、孫文も「支那」という言葉を使用していた。(後述)

>どちらの国でも「中国」という言葉は、ほとんど使われなかった。

日本においては、14世紀には既に、山口県や広島県や岡山県や島根県や鳥取県などの中国地方が「中国」と呼ばれていた。

したがって、日本で支那のことを「中国」などと呼ぶことは、普通ありえない!

日本に「中国」(中国地方)があるのに、支那のことを「中国」と呼んでいる現在の日本が極めて特殊で異常なのだ!

(資料)

大河島城
足利尊氏と対立した弟・直義の息子・直冬が1349年に「中国探題」として在城した。

HP「日本の城」より

延喜式による「近国」「中国」「遠国」の三区分のうち、「中国」に属していたのが名の由来。
文献上の早い例は、1349年に足利直冬が備中、備後、安芸、周防、長門、出雲、伯耆、因幡の8カ国を成敗する「中国探題」としてみえる(「師守記」「太平記」)
翌1350年に高師泰が足利直冬討伐に「発向中国(ちゅうごくにはっこうす)」(「祇園執行日記」)、1354年に将軍義詮が細川頼有に「中国凶徒退治」を命じた(「永青文庫文書」)。
南北朝時代中頃には中央の支配者層に、現在の中国地域がほぼ「中国」として認識されていた。

また中央政治権力にとって敵方地、あるいは敵方との拮抗地域であった。(岸田裕之執筆「中国」の項、『日本史大事典4』平凡社、1993)
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋、修正

>1930年に中華民国政府は、「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らないと日本政府に通告した。これがタブーの始まりだった。

支那国民党政府は、日本を差別するために、そのような通告をしたのだ!

当時(1924年~)は支那に対して「超弱腰外交」(宥和政策)を展開していた幣原喜重郎が外務大臣だった!
幣原喜重郎

幣原喜重郎外相の対支外交政策が超弱腰だったため、支那国民党政府は日本に対して侮日外交や対日差別外交を展開したのだ!

要するに、超弱腰外交をした日本は、支那人に舐められたのだ!

1924年に幣原喜重郎が外務大臣になり、支那に対して超弱腰外交(宥和政策)を展開するようになってから、支那国民党政府は日本を侮辱し差別するようなり、日本を「最大の敵」として反日教育を強烈に推進し、日本の排斥運動や日本人に対する殺人テロ事件などを煽った!

しかしながらこの融和的な日本の政策にもかかわらず中国は、日本との通商条約を一方的に破棄すると日本に通告してきたのである。中国は日本と妥協しようとする望みはかけらも見せなかった。

 1925~27年にかけて、暴力的な反外国(特に反英)暴動が揚子江南部のいくつかの省に広まった。これはついに1927年3月24日のあの恐ろしい南京暴動に発展し、この暴動で全ての外国領事館と多くの外国企業、住宅、キリスト教の施設などが略奪された。殺害された外国人の中には米人の南京大学副学長、二人の英人、仏人と伊人の司祭一人づつが含まれていた。多くの外国人の女性たちが筆舌に尽くしがたいほどの暴行を受けた。

 この全期間を通じて日本は融和的な態度をとり続けた。中国人の民族主義者の大群衆の前で逃げ惑っている外国人を保護するために、南京に停泊していた英米の戦艦が市街の幾つかの区域に砲身を向けたとき、日本の駆逐艦の砲身は沈黙したままだった。日本領事館が他国の領事館と同様に略奪され、女性も含めた領事館職員が筆舌に尽くし難いほどの虐待を受けたにもかかわらずである。

南京事件の後で暴行を免れた日本人の一人は、当時南京に停泊していた我が日本の駆逐艦が彼らを「見捨てた」時、避難民たちがどんな心地であったかを語ってくれた。かれは次のように言っている。

 「我々は日本の汽船会社に所属する廃船に逃げ込んだ。二隻の日本の駆逐艦が我々からそれほど遠くない所に錨をおろしていた。それを見て我々は大丈夫だと思った。中国兵が廃船をよじ登ってきた我々から略奪を始めた時、我々は日本の駆逐艦に大声を上げて助けを求めた。だが何の反応も無かった。そうしている間に英米の戦艦の砲身が火を噴き、南京の城壁に囲まれた市街を砲撃し始めた。それで我々も、日本の駆逐艦がせめて我々を助けにくらいは来てくれるだろうと思った。ところが見ろ!日本の船は突然錨をあげて上流のほうへ去ってしまったではないか。

P109-110
『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著(1938年)

幣原喜重郎対支宥和政策(超弱腰外交)によって図に乗った支那国民党は、1927年頃から反日教育を激化させた!

その後、1937年に始まった支那事変までに支那で起こった殆どの外国排斥テロ事件は、日本向けとなってしまった。

実際にそれまでは英国中心に行なわれていた支那の外国排斥運動(テロ)の矛先が、1927年頃から日本に向けられるように変わった。

1927年のこの南京事件をきっかけに、支那居住の日本人が支那人によってテロ攻撃されまくるようになってしまった。

支那人は泣き寝入りする相手を容赦せず、逆に更に徹底的に差別し、虐め抜く。

これは普通の日本人には理解し難い支那人の普遍的習性だ。

支那人や朝鮮人というのは、誠意が通じない相手なのだ。

支那人の反日活動や日本人差別や日本人虐めをやめさせるには、日本が武力・軍事力を持った上でやり返さなければならない。

幣原喜重郎の対支宥和政策(超弱腰外交)は、戦後の日本と同じように、支那人のことを全く理解していない愚策だった。
南京事件を報じた1927年3月26日付夕刊
南京事件を報じた1927年3月26日付夕刊

 

 またその一方で、幼稚園から大学に至るまであらゆる教育機関が、日本に対する敵意を幼児や若者の心に注入するために利用された。これは国民党が蒋介石の指導の下に1927年南京に政府を樹立した時、とりわけ顕著になった。1928年5月、南京の国民教育会議は次の決議を採択した。

1、国家の屈辱に関する豊富な資料を、中学校及び小学校の教科書に載せること。

2、われらの国家的屈辱に関する事実を宣伝し、どの国が中国の最大の敵であるかを国民に印象付けるために、あらゆる機会を用いて学校を利用すること。

3、国家の屈辱の描いている地図と絵を用いること。そしてあらゆる機会を利用して生徒の注意をそれらに向けさせること。

4、中国の最大の敵を打倒できる方法を、教師と生徒は共に学ぶこと。

 この計画の中にある中国の「最大の敵」とは日本を意味していた。この計画が採択される以前においてさえも、幼稚園の本には次のような言葉が載っていた。

日本は敵だ!日本は中国から澎湖諸島と台湾を奪い、遼東半島を奪った。日本は侵略国だ。国民政府は、日本の侵略を阻止しこれらの領土を取り返すことを目的とする政府だ。

これと同じ話はあらゆる教育機関で、別の言葉で繰り返し述べられている。実際問題として、中国は澎湖諸島にはっきりとした名称をつけたことはこれまで一度もなかった。台湾(フォルモサ)は1894年の日清戦争後に日本へ割譲された。遼東半島は1904~5年の日露戦争後に、日本が中国からではなくロシアから獲得したものである。

(中略)

 例えば1936年8月、2人の日本の新聞特派員(大阪毎日と東京日日の外国関係ニュース担当)が投石され、刺され、物を奪われた上に殺害された。その犯人は四川省成都の暴徒と化した少年少女である。

P121-
『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著

池田信夫‏は『1930年に中華民国政府は、「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らないと日本政府に通告した。これがタブーの始まりだった。』と述べているが、支那国民党政府が日本差別を強行したのだ!

支那人が日本人に対して「支那」と呼ぶな!「中国」と呼べ!』と通告することは、支那人による日本人差別なのだ!

なぜならば、「中華」「中国」こそが差別語であり、「支那」(シナ)「チャイナ」「シーナ」などと同様に世界万国の共通語に過ぎないからだ!

1924年に幣原喜重郎が外務大臣になり、支那に対して超弱腰外交(宥和政策)を展開したため、図に乗った支那国民党政府は露骨に日本を侮辱し差別するようになり、反日教育を強烈に推進し、日本の排斥運動や日本人に対する殺人テロ事件などを煽り、対日差別政策や対日強硬外交を展開したが、日本に対する「中国」(差別語)呼称の強要はその一環だったのだ!

支那国民党政府の「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らない!小日本は「中国」(様)と呼べ!』こそが、対日差別なのだ!

真実は、「中国」「中華」「中共」が差別語であり、「支那」「シナ」が正しい世界万国の共通語なのだ。

「中華主義」「華夷秩序」という差別文明観を取り込んだ「中国」という国名は、モンゴルや東トルキスタンやチベットやベトナムや台湾や日本や朝鮮や満洲などの周辺諸国を「野蛮な種族の地」だとする差別語だ!

一方、「支那」という国名は、オランダ語やポルトガル語の「シーナ」、スペイン語の「チナ」、英語の「チャイナ」と同様に世界の共通語であり、全く差別的な意味は含まれていない!
真実は、「中国」「中華」「中共」が差別語であり、「支那」「シナ」が正しい。

「シナ」が中国を示す蔑称』というのは真実ではなく、「中国」という呼称こそが周辺の異民族を野蛮な民族の地として見下す蔑称(差別語)だ。

支那人の伝統的な文明観は「中華主義」というやつで、これを「華夷秩序」と言う。

これは差別そのものだ。

差別を強調した「中国」こそが差別的な表現であり、世界共通語の「支那」は全く差別的な表現ではない!

この「中華主義」「華夷秩序」という差別文明観を取り込んだ「中国」という国名を認めて使用することは、満州やモンゴルや東トルキスタンやチベットやベトナムや台湾や日本や朝鮮などの周辺諸国を「野蛮な種族の地」と認めて呼ぶことを意味する。
真実は、「中国」「中華」「中共」が差別語であり、「支那」「シナ」が正しい。NHKが捏造・虚偽・嘘を放送!5月25日(金)放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」ラーメンのラーは、ラー油のラー?…ボーっと生きてんじ

「支那」という言葉(表記)は、大昔からあった。

「支那」という表記を発明したのは古代支那人だった。

支那人自身が支那を「支那」と呼んできており、清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。

これらは、1999年5月7日付の「人民日報」で認めている事実だ。

支那の「国父」といわれる英雄「孫文」も国籍は「支那」と書いていた。
支那の「国父」といわれる英雄「孫文」も日本に入国した時、国籍は「支那」と書いていた
「支那」呼称問題。支那の「国父」といわれる英雄「孫文」も日本に入国した時、国籍は「支那」と書いていた。NHKチコちゃんは嘘を吐くな!
孫文「支那革命」

一方、日本においては、14世紀には既に、広島や岡山などの中国地方は「中国」と呼ばれていた。

辛亥革命の後に支那が「中華民国」と名乗った後も、世界は、「支那」、「シナ」、「シーナ」、「チナ」、「チーナ」、「シーヌ」、「チャイナ」などと呼び続け、「中華民国」とか「中国」などの周辺国に対する蔑称(差別語)で呼ぶ国はなかった。

ところが、大東亜戦争が終わり、一応戦勝国となった支那は、敗戦国となった日本に対してのみ「中国」という差別語を強要してきた。

支那が日本に「中国と呼べ」と言って来たのは、終戦の翌年1946年で、アメリカのお蔭で一応「戦勝国」となった国民政府(蒋介石政権)が、アメリカに占領されて主権がなかった日本に対して要求したのだった。

当時の日本の外務省は、公務員の公務時と公共電波での「支那」呼称だけに限定して禁止することを受け入れた。

日本では敗戦直後の1946年に中華民国からの要望により、支那を中国と呼ぶように外務省から通達が出され、公務員が公務を行っている時のみは支那を使うことや公共電波での支那呼称は禁止されている(当時の外務省局長級通達による)。
ただし、上記通達で禁止されているのは「国名としての『支那』」呼称のみであり、歴史的・地理的および学術的呼称の場合は必ずしも従う必要はない。
上記通達でも「東シナ海」「支那事変(日支事変)」などの名はやむを得ないとされている(現実には支那事変は日中戦争に取って代わられた)。

しかし、その後、蒋介石の国民党政権(中華民国)は支那大陸から台湾に追放され、支那大陸には共産党政権が樹立され、更に1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効によって日本に主権が戻ったのだから、蒋介石の国民党政権(中華民国)が日本に対して不当に要望した差別語の使用は完全に無効となった。

政府外務省やマスコミなどは、連合軍による占領統治下で支那から不当に強要された差別語「中国」の使用を破棄し、「支那」に呼称を戻さなければならなかった。

「相手が嫌がる呼称を使うべきでない。」などと言ったマスゴミ記者がいたが、だったら俺を含めて多くの人は「中国」「中華」「中共」呼称を嫌がっているのだからマスゴミは「中国」呼称を使うべきではない!

「支那」という言葉は最初の統一王朝の「秦」に由来し、その後今日に至るまで、世界中がその近似音で「シナ」「支那」と呼んでいる。

つまり、「支那」は、世界の共通語なのだ!

支那人が、「中華人民共和国」「中国」と呼べと言っている相手は、日本以外にあるのか?

日本以外の国は「チャイナ」「シーナ」のままで良いのに、日本にだけ「シナ」から「中国」(日本など周辺諸国に対する蔑称)に変更しろと言ってるのだ。

「支那」「シナ」は差別語や侮蔑語などではなく、「シーナ」(オランダ語、ポルトガル語)「チャイナ」(英語)と同じだ。

「中国」「中華」「中共」こそが、蔑称(差別語)なのだ。
●詳細記事
試験で「中国」を「支那」と書いたら不正解!教諭「支那は差別用語」・真実は「中国」こそ差別用語
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5691.html

●関連記事
NHKチコちゃんが大嘘「支那そば」→「ラーメン」!・事実は「チャンコロそば」→「ラーメン」!
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7096.html

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Source: 正しい歴史認識・国益重視外交・核武装実現

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