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2023年5月7日号:ニュースに一言❣「百田尚樹のテレビでは伝えられない話」

2023年5月7日号:ニュースに一言

2023-05-07 07:00

●ゴールデンウィーク(GW)真っ只中です。今年は5月の1、2日に有休を取り最長9連休にした方もいたようで、コロナ禍で行動を制限されたこの3年間の鬱憤を晴らそうと各地の行楽地はどこも結構な賑わいをみせています。GWはまとまった休みの取りにくい日本のサラリーマンにとって貴重な長期休暇ですから存分に楽しんでもらいたいものです。
わたしはといえば自分の思い次第でダイヤモンドマンスにもプラチナイヤーにもできる生涯フリーランス生活ですからゴールデンウィークといっても普段となんら変わらぬ生活で、執筆(始まった週刊誌の連載やこのコラムなど)やYouTubeライブなどの仕事に励む毎日です。
そんなGWの真っ只中に新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長が共同通信のインタビューに対し「(コロナは)まだ普通の病気になっていない」と答えたというニュースがありました。まず、驚いたのは日本中が日常を取り戻しつつある現在、いまだに分科会があったということです。2020年初から日本国民を煽れるだけ煽り、結果的に全国にいる仲間の医者たちをぼろ儲けさせた分科会なんてとっくに解散したと思っていましたのに。さらにまだ儲け足りないのか、この期に及んでまだ「コロナが・・・」ですから呆れてものが言えません。
会長は「ここにきてまた感染者が増えている」と言いますが、多くの人は「それがどうした」としか思わないでしょう。特別なリスクを抱えているひと以外、コロナを恐れなくてもいいことは周知の事実です。だからこそ人々はこぞって外出しているのです。そんな旅行者にとって会長の言葉はただの不愉快な雑音でしかありません。本当に危険を知らせる警鐘ならまだしも、自身の存在感を示すためだけにせっかくのGWに水を差すようなことはやめてもらいたいものです。
 
 
●兵庫県加古川市が昨年11月にJR加古川駅に設置した“ストリートピアノ”が、たったの半年間で撤去されたというニュースがありました。
“ストリートピアノ”とは公共の場所に置かれた誰でも自由に弾くことのできるピアノで、音楽を通じて人々が繋がりあうことを目的として設置されたものです。誰でも自由にとはいっても「みんなのピアノ」ですから弾くにあたっては一定のルールがあります。人々が寝静まる時間に思い切り鍵盤を叩かれては堪りませんし、一人だけが朝から晩まで延々と占領していたのでは「みんなのピアノ」にはなりません。そこで加古川駅のピアノには弾いていいのは午前7時から午後9時までの間。また、1回の演奏は10分との決まりが定められました。
しかし、制限時刻を過ぎても大音量の演奏を止めない、一人で1時間以上も弾き続けるなどのルール違反が頻発したため苦情が殺到し、やむなく撤去が決まったということです。中にはYouTubeにアップするため照明などの機材まで持ち込む人もいたようで、市が求めていた当初の目的とは大きく違ってしまったのですから撤去もやむを得ないところでしょう。
ストリートピアノの弾き手にはプロのピアニストや音大生もいたはずで、彼らの演奏はそれだけで聴衆を楽しませることができますので苦情が来ることは少なかったと思われます。また、小さな子供がたどたどしい指使いで鍵盤を押さえてだす音も音楽としては未完成でも見ている者を笑顔にするに十分なものです。そんな場面を演出していた“ストリートピアノ”の撤去は残念なことです。
音楽には二通りの楽しみ方があります。一つ目は聞いて楽しむこと、好きな歌やきれいな音色を聞くのは心地よいものです。二つ目は自らが歌ったり奏でたりして楽しむことです。「カラオケが嫌い」という人も人前で歌うのがいやなだけで、知らず知らずのうちに鼻歌をうたっていることはあるでしょう。また耳に入るリズムに合わせて手拍子をすることも演奏のひとつです。自分が楽しむために弾くのか、他人を楽しませるために弾くのか。その状況判断が的確にできる人ばかりなら今回の撤去はなかったでしょう。
 
 
●神奈川県警に勤務する38歳の巡査部長の男が、パチンコ店やコンビニエンスストアなどで女性への盗撮を繰り返していたとして神奈川県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検されたというニュースがありました。
男のスマートフォンからは、およそ30本の”盗撮”動画が見つかったといいますから完全な常習犯です。市民の安全を守るべき警察官が市民を狙うという言語道断な事件を起こしたこの巡査部長は、横浜市西区のパチンコ店でカバンの中に隠したスマホを19歳~32歳の女性従業員4人のスカートの中に差し向け、下着や太ももを盗撮したほか、コンビニでは34歳の女性客の背後から自分のスマホをスカートの中に差し向けて下着を撮影していました。
この巡査部長の配属先は右翼団体などの動向を見張る公安二課で、犯行は非番の日に行なわれていましたが、ひょっとしたら彼は「右翼がスカートの中に潜んでいるかも」と思って独自に捜査していたのでしょうか。もちろんそんなことはあるわけもなく、調べに対し男は「きれいな女性の下着を見たい願望があった」と単純明快にその動機を話しています。しかし、この供述の解釈が実に難解です。彼はきれいな“女性”=美人な女性の下着を見たかったのか、あるいはきれいな女性の“下着”=花柄など、そのデザインが魅力的な下着を見たかったのか、はたまたまっさらの汚れていない下着(もっとも、パンツを覗き見するような変態は使用済みを好むので可能性は低いでしょうが)だったのかいまひとつわかりません。それとも、男は女性のパンツに果てしない憧れを抱いていて、それを見たいという願いに一糸の乱れもない=きれいな願望と言いたかったのか。日本語とは、まったくもって難しいものです。
 
 
●1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に侵入した男が散弾銃を発射し、そこにいた2人のうち当時29歳の記者が死亡し、もう1人が重傷を負うという事件が発生しました。事件後、「朝日新聞に天罰を下す」という赤報隊を名乗る犯行声明が届き、何者かが暴力によって朝日新聞の言論を封じようとしたことがわかりました。
あれから36年、朝日新聞の紙面には毎年この日になると「テロには屈しない」との文字が躍ります。暴力によって自身の主義主張を通すことは絶対に認められません。理不尽なテロによって亡くなられた若き記者の方を想うと、さぞかし無念だったろうと同情の念を禁じ得ませんが、組織としての朝日新聞が「テロに・・・」と言うのにはいささかの違和感があります。なぜなら朝日新聞は昨年7月、選挙活動中にテロによる銃弾に倒れた安倍元総理を貶める記事を連日掲載し、多くの読者に誤った情報を流し続けていたからです。
記事はテロそのものを責めるよりも犯人の過去に焦点を当て、その行動も安倍さんに責任があるから“仕方がない”という論調でした。彼らにとっては憎むべきテロより“安倍憎し”の思いのほうが強かったのでしょうが、仮にもマスメディアを標榜するのなら、それは絶対にしてはいけないことでした。朝日新聞のネガティブキャンペーンの際たるものは国葬儀のあった月の「朝日川柳」です。
このコーナーは読者から投稿された川柳が7句掲載されるのですが、「銃弾が全て闇へと葬るか」「これでまたヤジの警備も強化され」など安倍氏を揶揄するものが次々と選ばれ、16日には「疑惑あった人が国葬そんな国」「死してなお税金使う野辺送り」「動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです」など、なんと採用された7句すべてが安倍氏が銃撃されて死亡した事件や国葬を揶揄する内容でした。「いやいや、川柳は読者からの投稿です」といったところで、最終的に掲載したのは朝日新聞ですから知らないでは済みません。なによりも選者は元朝日新聞記者で在職中は朝日新聞の看板ともいえる「天声人語」を担当する等、まさに“朝日そのもの”とも言える人物でしたから、採用句は朝日新聞社自体の見解といってもいいでしょう。
そんな新聞社に「テロは絶対に許さない」と言われてもまったく説得力はありません。
 
 
●4月14日、東京・新宿に超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」がオープンしました。このビルは高さ約225メートルの威容を誇る地上48階、地下5階の建物で、中には映画館や劇場、ライブホール、飲食店などが集まっており、戻りつつある外国人観光客などで連日にぎわっているそうです。ところがこの新人気スポットのトイレをめぐり、SNSなどで不安の声が相次いでいるというニュースがありました。
普通のトイレは“男性用”と“女性用”の2ヶ所あるものですが、なんとこの「東急歌舞伎町タワー」の2階部分には“男性用”(小用のみ)”と性別に関係なく利用できる“ジェンダーレストイレ”しかないというのです。この階のトイレは入り口が左右に分かれており左側は男性の小便用トイレ、右側の入り口から進むとジェンダーレストイレ=5基、女性用トイレ=5基、男性用トイレ=2基、多目的トイレ=1基の4種類のトイレが同じ空間内に設置されています。計13基の個室は上下に隙間がなく密閉された構造となっており、それぞれのトイレの種類ごとに洗面台は共用となっているそうです。すなわちおしっこだけの男性以外は老若男女全員が右側に進むことになるのです。安全確保のために防犯カメラによるトイレ共用部の常時監視、高頻度の清掃、警備員による立哨警備(不審者がいないか立ったまま監視する警備)などを行なうとしていますが、場所が場所だけに「常に見られている」というのも気持ちのいいものではありません。
トイレという最もプライベートな空間が女性にとって寸分も気の抜けない、また恐怖に感じる場所になることに誰も反対しなかったのが不思議でなりません。施設側は設置の理由を「国連の持続可能な開発目標(SDGs)の理念でもある『誰一人取り残さない』ことに配慮したと言っていますが、そもそもSDGsの目的は人類がこれから先も『幸せに暮らしていく』ために定めた目標だったはずです。それを1%未満の人たちのために50%を占める人たちの安全を脅かそうとするのですから困ったものです。
ただSDGsという言葉に酔っているだけで本質を完全に見失っています。こんな“ジェンダーレストイレ”は女性にとっては同じフロアにいながら使うことの出来ないなんとも“不便”な“便所”でしかありません。“男性用”“女性用”でなくどうしても“ジェンダーレストイレ”を作らなければならないのなら“女性用”と“ジェンダーレストイレ”にするべきでした。なぜなら女性は男性より間違いなく弱いので優先して守られるべきだからです。この考えを「女性蔑視」と批難するならすればいい。わたしはそんなことより全女性の安全安心を優先したいのです。
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