LGBT、掲載広がる 道徳や社会に、同性婚も 教科書検定
小学校の教科書でも、性的少数者(LGBTなど)といった性の多様性を取り上げるケースが広がっている。
【図解】過去1年に自殺を考えた、自殺しようとしたLGBTQの子ども・若者の割合
前回の検定では保健の教科書2点のみだったが、今回は道徳や社会を含め10点で触れられた。 文教社の5、6年保健では、心の健康を学ぶ中で「人によっては、自分の生まれた性別と、心の性別が一致しなかったり、同性の子を好きになったりすることもあります」と記述した。 光文書院は6年道徳で、東京五輪の開会式で虹色の衣装をまとって国歌斉唱した歌手MISIAさんの写真を掲載。「LGBTQなどの問題についてさまざまなメッセージを発信している」と紹介した。
3年道徳で、LGBTという言葉は明記せずに、ペンギンの雄のカップルが放棄された卵を温め、赤ちゃんが誕生する「タンタンタンゴはパパふたり」を取り入れたのは教育出版。担当者は「『パートナーシップ制度』の広がっている状況を踏まえた」と説明。同社は6年社会でも、現代日本について学ぶ部分で「性別のちがいや性的少数者をめぐる差別もなくしていかなければなりません」と記載した。 Gakkenは6年道徳で、あらゆる差別と闘った米最高裁の女性判事に関する教材を取り上げた。その中で、同性婚を認める判決を下した点などに触れ「多くの人を力づけたのです」とした。
コメント
男女の区別は絶対必要です。 世界的にもこの問題って、今後どう対応して行くのか難しいと思うけど、トイレや温泉等はやはり分けるべき。 男女しっかり分かれている所に関しては守られるべきです。 これに対して、当事者が何でそこまで差別意識を持つのか逆に分かりません。
教養として必要だと思うが、性的マイノリティに対して寛大でそこにフォーカスした社会にしようと言うなら、違うと思う。みんな違ってみんないいを掲げる割には、みんなと同じを求めることに違和感しかないのです。
アメリカではこういう歪んだ教育が、子どもたちの性自認を歪め、安易な性転換治療に走る若者が取り返しのつかない過ちを犯してしまうという事例が多発し、医師が警鐘を鳴らすという深刻な問題となっている。 女性の権利侵害も大きな問題になってますし、海外で大失敗してることに追従する意味が分からないです。
わざわざ教科書に載せる必要があるのだろうか? それを利用した犯罪も増えていきそうな気がする。 日本にはこういうことは大昔からあったけど、それは暗黙で了解していたが、今はあまりにもこういう人たちが権利を主張しすぎているように思う。 そういう生き方も認めるけど、周りを巻き込まないで静かに生きていって欲しい。
本当にこれが正しい教育なのですか? 見たくないとか嫌悪感を感じるというのは、性的少数者に限らず、新興宗教関係者や政治活動家に対してもよくある話だ。それぞれ信教や政治信条といった憲法で保障されたものだが、彼らに対して嫌悪感を持つ旨の発言が「差別」だとする意見は一向に耳にしない。なぜその当事者が性的少数者だと「差別」になるのか。結局は利権化出来るか否かなんですよね。「多様性を認めろ。異論は認めない。」彼等は明らかにそう主張しています。これでは矛盾するロジックなのですが。 そもそもこの人達のいう多様性や差別、人権とはなんでしょうね?自分達が都合の悪い事実を突きつけられた時に自己正当化する為の詭弁であって、それを建前にして利権化する口実ではないか。
少数意見を認めるというのと受け入れるというのはまた別だと思います。少数派意見を尊重しろと言うなら多数派意見も尊重してもらいたいと思うし、多様性の尊重と言うことであるならば、どちらの意見も尊重されて然るべきはずだし、ならはじめから色分けなんかせずに、このような議論が始まる必要もなかったのではという気がします。
小学校6年なら知識の導入程度でいいんじゃないか?道徳や保健体育で知るきっかけは大切。 ただしこの先を考えるのは過度な価値観の押し付けになってはいかん。授業を担う上の世代の現場の教師たちはどう考えているのかも大切になる。大人になってからこのようなことが問題提起されたのでもっと知りたいとは思うが、最後の理解はできないと思ってる。
性的嗜好は個性だし、揶揄や差別の対象にならないよう児童時期からの教育は必要だろう。 個々の尊厳は大事にしないとね。 ただ、身体機能的男女は明確に区別しないと、元々の性の尊厳(特に女性)が守れなくなる場面がある。トイレ・浴場とか。 スポーツも、生まれつきの性で区別しないと、公正な女性の活躍が阻害されると私は思う。 まず「違いがあること」を教え認識させておくのは、とても大事と思う。 が、その先の「実社会での適用」については、逆に(従来通り?)機能的性差でさらに明確に区分すべきことも多い。 本当の意味で「違いを尊重する」とはどういうことか、そこはいまだに議論の途上だと感じる。
SDGsも内包されるESG投資に世界的には一線を引きつつある。 進化させなくていいものをいつものガラパゴス状態で子どもたちを誤った方向に導くのはやめていただきたい。 タブレットで多くの情報をえられるので、そのうち「テレビの放映内容も中立じゃない。教科書の内容も一種の節だよな」となるだろうけど。
性の多様性、時代の流れかもしれないがあくまでも少数の方々の事を教科書にまで掲載する必要が有るのか疑問です、生物として雄雌のの区別があるのに世間に良い顔をし理解者ぶってる人が大半、なにも西洋諸国の言い分を聞く必要はない、高らかに声を上げているのは直ぐにヨーロッパやアメリカを引き合いに出すかぶれた方々だと思う。 差別する事は無いが特別視する方がおかしい。