しゃぶしゃぶ
ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」
ここで、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」を確認しておく。
2012.6.27日午後、消費税増税法案に賛成した民主党の岸本周平ら当選1回の議員11名が、造反した小沢系57名の厳正処分を求めて首相官邸を訪問し「厳正な処分をお願いしたい」と首相に申し入れた。岸本周平とは、米留学組でカーティスの弟子とされている元大蔵官僚の議員である。財務省の勝栄二郎らと連携している。ここで、岸本周平とは何者か、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」を再確認しておく。 1998(平成10).2月、かって銀行のMOF担とよばれる行員が旧大蔵官僚の接待にノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」(東京都新宿の歌舞伎町)を使っていたことがマスメディアに暴露され、話題となった。楼蘭では、大蔵・通産等各省は言うに及ばず、日銀、羽田や首都高等の公団、国民金融公庫まで事務次官・総裁・理事長クラスが顧客になっていた。楼蘭はその後、東京地検特捜部の家宅捜索を受けている。事件発覚後、その官僚の一人・山口剛彦 (厚生次官)が不可解な自殺を遂げている。これを仮に「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」と命名する。
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「話題の ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭の顧客名簿を入手しましたので掲載いたします。楼蘭では昭和62年から昨年末までの12年間、政界、財界、官界、等々、多方面の顧客1万人以上の名簿を FDに保存しております。その顧客名簿の中から官界の一部をプリントアウトしたものが当方に送られてきましたので、そのまま掲載いたします」。 |
これを転載しておく。これは、日本の官僚の売国奴派の一覧表としての意味を持ちそうである。後日の証として確認しておく。れんだいこ流儀で編成替えした。問題は、この売国奴派官僚どもが事件後も登用され続けていることにある。これを思えば、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭出入り事件」により明るみにされた本リストの重要性が増すだろう。俗に云う「現場が押えられた」ことになろう。
2012.6.29日再編集 れんだいこ拝
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Re::れんだいこのカンテラ時評634 |
れんだいこ |
2009/12/16 |
【羽毛田・宮内庁長官発言考】
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【岸本周平考】 | ||
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK132」の五月晴郎 氏の2012.6.28日付け投稿「大蔵省スキャンダルと増税議員・岸本周平の米留学からわかること (ジャパンハンドラーズと国際金融)」を転載しておく。
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK132」の日本一新の夜明け氏の2012.6.29日付け投稿「岸本周平 ノーパンしゃぶしゃぶ 2008年09月30日 に自ら語る!馬鹿な行動しなければ分からなかった!」を転載しておく。これによると、岸本周平は「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿」から漏れているけども、本人が認める「「ノーパンしゃぶしゃぶ組」と云うことになる。つまり、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿」は、大蔵省絡みの官僚に対しては敢えて削除していることが分かる。厚生省の官僚が詳細に漏洩されているのに比して対照的である。
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20年前の過ち― ノーパンしゃぶしゃぶ事件 :岸本周平
ノゾミさん、このたびはブログのコメント欄でお問い合わせをいただき、ありがとうございました。この場を借りて、お返事をいたします。
ノーパンしゃぶしゃぶの店に行きマスコミに騒がれた件は事実です。あれは、マスコミに書かれるよりもかなり前の今から20年くらい前のことです。まだ30代でした。先輩に連れられて、2回行きました。
問題は、これが接待であったことです。自分でお金を払っていれば、趣味が悪いということですむでしょうが……。
当時は、バブルの時代でもあり、高級な料亭でも接待をされることがありました。誰もがそのような風潮に慣れていましたが、それは言い訳にもなりません。
そのことで、私は人生が変わるほどの制裁を受けました。
友人だと思っていた人、仲間だと持っていた同僚も離れていきました。その他にも、それは本当に言葉では言えないくらいの辛い思いを経験しました。
しかし正直、そういうことがあったおかげで、私は深く自分の過ちを反省することができました。
自分の在り方について、行動についていつも深く考え、自問するようになりました。それは後の私の人生の方向を変えるきっかけとなった気がします。
その後、私は、米国プリンストン大学の客員講師などを経て、財務省、経済産業省の課長を務めました。そしてトヨタ自動車に移籍しました。そこでは、奥田経団連会長の政策スタッフを務めながら、内閣府の政策参与も兼務させていただきました。
多くの仕事を経験し、年齢も重ねましたが、しかしあの時の反省は今でも心の底で秘めています。
このような問題で、「君には政治家になる資格がない。」と判断される方もおられるでしょう。「覆水盆に返らず。」とはこのことです。
ただ、人生は一度きりです。
私は、官庁や財界で働き、米国の大学で教えるなど多くの経験を通じて、自分には日本の政治を、そして和歌山の未来を良く変えることができる知識と能力経験があるという自信がつきました。
なぜなのか、自分にも説明ができないのですが、世の中を良くして行く為に、動かなくてはいけないという、突き上げる何かが私の奥底にあるのです。
こういう問題で叩かれた自分が、政治家を志せば、また面白おかしく嘲笑されたり、批判されたりすることは目に見えていました。
普通に仕事を続けていれば、路上で雨の日も雪の日も叫び続ける必要もありません。誰にも悪口を言われない普通の心地良い生活を続けていくことできたでしょう。
私は、確かに20年前、失敗をした人間です。この件で嫌悪感を持たれる方も多くいらっしゃると思います。その嫌悪感を私が変えてほしいと願っても無理でしょう。
ただ、ここで言えることは、今の自分は、20年前の自分とは違う、ということです。
私が衆議院議員になることにこだわるのは、自分のためではありません。
私には、日本、そして和歌山を良くする為に、他の政治家がやっていないことで、今、やらなくてはならない問題が山積されているのが見えるのです。私がやらなければこのままずるずると悪化してしまう問題が多くあるのです。
それを、変えさせて下さい。
私が失敗を乗り越え、再び挑戦させて頂くこと、どうか受け入れて下さらないでしょうか?