「総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」
“友人代表”菅前総理が追悼の辞 安倍元総理国葬
菅前総理
安倍晋三元総理の国葬が27日午後、東京・日本武道館で執り行われ、菅義偉前総理が友人代表で追悼の辞を読み上げた。 【映像】菅前総理「追悼の辞」 涙ぐむ場面も
歴代最長の安倍内閣で総務大臣、長らく官房長官を務めた菅前総理から語られたのは、無念さや安倍元総理に対する尊敬の念、また感謝を述べる際には涙ぐむ場面もあった。
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友人代表弔辞 7月の8日でした。 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。 その一心で現地に向かい、そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの運命の日から80日が経ってしまいました。 あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。 季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
悔しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。 しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。 20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う著者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。
いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。 平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。 信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。 最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。 総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でもふと1人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。
TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。 一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。 どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。
国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。 そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。 衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。 ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。 どうか安らかに、お休みください。
令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉 (ABEMA NEWS)
Yahooコメント
菅前総理の朴訥な語り口は人々の感動を呼んだ。 私も菅前総理の偽りのない友人代表の悼辞に心を打たれた。 いや、菅氏の悼辞は「友人代表」というよりは政権を維持し、政策を実現するための「戦友」であったというような感じの追悼の辞であった。 広い官邸の中で、たった二人のこころの許せるものの間でどういった会話を交わしていたのであろうか。政治のリーダーとは孤独であったことがうかがわれる。 今後、歴史の中でどのようにこの国葬は位置づけられるのであろうか。そうしたことを思いながら追悼の辞を聞いていた。今後、かれらも歴史の審判を受けていくのであろう。
もともと出自も違い、とくに共通利益も持たない二人が、政治家として出会って信念のために長年苦楽を共にした。あんな事件がなければ、菅前総理がこうした話を大っぴらに語ることもなかったのかもしれません。ただ、そういう「政治家」が政権を担っていたことが改めて伝わり、私たちもまた、幸せな日々を過ごしていたのだと理解できました。 いまの困難を、他人のせいにばかりしてたらいけませんね。社会をよくするためにあとに続く自分達も微力を尽くさないと、と思わせてくれる心のこもった追悼の辞でした。
この方、確かに口数は多くなく、リップサービスも苦手 派手なパフォーマンスもしない。 それ故か、マスコミに謂れなきバッシングを受け短命政権でしたが、 初めから安倍総理の任期の残りを務めるだけと思っていたのでは?と 勝手に思っています。 暗殺後、すぐのインタビューで仰っていた「安倍さんは寂しがり屋だから」とのコメントは、思い出すと今でも目頭が熱くなります。 弔辞のあと、会場から拍手が沸いたのは、美しい文章ではなくとも、心がこもった言葉に自然と触発されて起こったからなのだろう。
菅さんの熱い熱い安倍さんへの想いが伝わりました。正直言って菅さんが、こんなにも熱い感情を持つ人だとは今まで感じた事がなかったので尚更、胸に響きました。菅さんは自分が認めた相手に対しては己を犠牲にしても守り抜く影の力持ちだったのですね。 安倍さんを心底愛していたのだと思った。人間愛として。涙がでました。
とても心に響く弔辞でした。 正直、菅さんの総理大臣時代には一つ一つの言葉が軽く感じられました。 でも、今回の弔辞を全て聞かせて頂いて、安倍さんと同じように日本のこれからを全力で思い続けてこられた方なんだなと改めて思いました。 政治家として続けていかれるならば、その想いを胸に、安倍さんと全く同じでなくていいから、菅さんのお気持ちをプラスさせてもっともっと前に出て、日本をより良くしていって頂きたいです。
なかなか言えないよね。幸せでしたなんて。 本当に安倍さんのことが大好きだったんだろうな。 自分が総理をしているときよりもずっとずっと充実して居たんだろうと思う。 政治家としての安倍さんに対してとか、国葬については思うところもあるけれど、ああいう亡くなり方をしなくてはならなかったことは本当に憤りを覚えるし、あってはならないことだと強く思う。 厳しい病気を抱えながらも頑張っている姿は、同じ病に苦しむ人達の励ましにもなっていたと思う。 そして一人になった奥様が本当に痛ましい。
「友人代表」である菅さんの弔辞が一番良かったです。岸田総理は、立場上からか公の感じが強く、心がこもっていないように感じました。ただ、ひたすら長く感じました。菅前総理は、「友人」という立場からか、心に響く内容でした。それは、安倍さんとの7年以上の長い時間を背景として、ことばが重いものだったからだと思います。
本当にいつまでも心に残る弔辞だったと感じました。そこへ行くと反対派はデモするのは自由ですが、あれがサヨクの普通のやり方だと思う。自分たちの声が聴かれないのは許せないけど、弔意を示す声を聴かず怒号でかき消すのは許せるのでしょうか?声が大きいだけで実際は少数派なのにこうやってデモで多数派であるかのように印象操作するいつものやり方だと思いますね。デモで自分たちの少数意見を国民にゴリ押しするのは良いけど、国葬はダメとか、やはり他人に厳しく自分に甘いサヨクの都合の良いダブスタが出ていると思いますね。これでは彼らを支持したいと思う者は一定数いたとしてもごく少数に留まると思いますね。
素直に率直に安倍氏を追悼した弔辞だと思いましたよ たしかに安倍内閣は功績も罪もあったのはたしかだけど、人間一人としての彼のこれまでの人柄が分かった弔辞でした。 菅さんも敢えて政治的な事を言わなかったのも良かったかな。 特に最後の本のしおりの場面は菅さんじゃなければ分からなかった。 やはり約8年間に渡り番頭として総理大臣を支えた恋女房のからの最後のメッセージ昭恵夫人も菅氏の弔辞は胸に来るものがあったと思う。 政治的信条はさておき、安倍首相お疲れさまでした。 今思うと5年前に握手をしてもらったことが良い思い出です。
すごく胸に響く弔辞でしたね。 自分の政治人生での安倍さんとの関係。安倍首相時代の二人三脚、個人的な友情など、いろいろな思いが錯綜しており、昭恵さんも泣かれていました。 菅さんは、口下手ですが、一番実行力があり、省庁縦割りだったダムの放水管理に横串を通し、先日来続く台風での水害を最小限に抑えているのも、この菅さんの成果です。 マスコミからは叩かれまくりましたが、人も良く実行力もあり、このような方がトップ(あるいはご本人が一番好むトップの女房役)に再度つかれて、日本を立て直すことを期待します。
課題が山積みの日本で国政と外交を8年勤めるとはどれほどの事か国民にはわからない。皆にいい顔をしていては務まるはずはない。そこには絶対に曲げない信念が必要となる。ビジョンと信念。これは企業の中間管理職も平社員も規模感は違えど同じ。 綺麗事だけではやってはいけない。 安倍さんが不退転の決意で真に、若者が希望を持てる国、誇りを持てる国にしたいという信念を持って取組んできたのなら、素晴らしい政治家であったのだと私は思う
菅前総理はもっともっと評価されてしかるべきだと思います。 右顧左眄せず日本国の前進のためにひたすら必要な仕事に集中し、 それを成し遂げる。その迫力、気迫、周到な準備。 余計なことは一切言わない。国民受けするパフォーマンスもしない。 実質的な成果が国民に届くような仕事をする、それが政治家のパフォーマンスと心得ている。 その手法は、岸田内閣のそれではない。 岸田内閣はまだなにかフワッとしていて、その核心部分がよく見えない。 新しい資本主義とは何か?原発の再稼働? 言っている本人にも、まだ具体的な道筋が見えていないのではないか。 ロシアのウクライナ侵攻に際しては、躊躇せずにG7の一員として西側諸国と足並みをそろえて制裁に踏み切ったが、これは評価に値する。 難しい時代になったが、その進むべき道筋はすでに安倍さんと菅さんが敷いてくれていたので、それを間違いなく、突き進むべきだと思う。