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「愛国女性のつどい花時計」幻の名画「氷雪の門」

         

 

 「樺太1945年夏 氷雪の門」という映画を知っていますか? 1974年に封切りされ、北海道・稚内の映画館を皮切りに、本来なら全国で公開されるはずの映画でした。しかし全国ロードショー直前でなぜか上映中止となりました。東宝が制作した作品でしたが、さまざまな経緯を経て東映が引き受けることになり、東映系の映画館で上映されることが決定したにもかかわらず結局、規模が大幅に縮小されてしまいました。「氷雪の門」上映に関するゴタゴタの真相は未だによく分かっていません。ソ連(今はロシア)当局がこの映画の内容を不快に感じて外務省に圧力をかけてきたとか、興行収入に関するトラブルがあったとか、いろいろ憶測されていますが、真相は闇の中です。

 その、幻の名画ともいえる「「樺太1945年夏 氷雪の門」」が八月の一か月間、靖国神社の中にある「遊就館」の「映像ホール2」で毎日、上映されています。上映開始時間は午前11時と午後1時半の二回です。815日だけは上映開始時間が午前9時半と午後1時から、となります

 樺太(「サハリン」はロシア語)の南半分はかつて日本の領土であり、樺太生まれの人々にとっては今も懐かしい故郷に違いありません。昭和20年(1945年)8月、大東亜戦争終戦時の混乱期にソ連軍は突如、南樺太に大軍を送ってきました。それまで本土と違って空襲もなく、戦争中とはいえのどかな日々を送っていた南樺太の地は、瞬時にして地獄のような状況になりました。政府も軍部もソ連軍の侵攻をまったく予想していなかったのです。ごくわずかしか駐留していなかった守備隊は防戦一方で、なす術がありませんでした。

 樺太の各地から次々と入ってくる緊急情報を住民に伝え、避難指示を出したりしていたのが真岡(まおか)郵便局の女性電話交換手たちでした。通信業務は一刻を争う大切な仕事であり、練度の高い電話交換手でなければできない仕事でした。「氷雪の門」はソ連軍が迫ってくる中、最後まで職場を守りぬき、青酸カリを飲んで自決した九人の電話交換手の物語です。

 「氷雪の門」はほぼ史実に忠実なノンフィクションですが、真岡郵便局に電話交換手が九人しかいなかったわけではありません。たまたま連絡業務で外出していた人や、さまざまな事情で職場を離れていた人、青酸カリを飲んでも死にきれなかった人などがいます。しかし、映画では九人の女性に絞って物語が作られています。結果的にはそれが映画の成功につながっていると思います。

 安倍首相とプーチン大統領の会談が回を重ね、北方領土が日本に返還される期待も最近、ささやかれています。世界の歴史を見ると、戦争によって奪われた領土が戦争以外の手段で戻ってきた例はほとんどありません。だから北方領土も返還される可能性はほとんどないでしょう。しかしそれはそれとして、北方領土だけではなく千島列島も樺太も、かつては日本の領土だったのです。そこで生まれ、そこで生き、死んでいった多くの日本人がいたことは後世に伝えるべきことでしょう。

 そういう意味で、この映画が果たす役割は非常に大きいものがあります。今年の夏休みは「氷雪の門」を遊就館に見に行ってはどうでしょうか。

 

「樺太1945年夏 氷雪の門」予告編

https://www.youtube.com/watch?v=QFueq5PKNwo

 

 

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Source: 愛国女性のつどい花時計

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